2014年3月18日火曜日

オサラマ完成していました。

 長いことほったらかしになっていたこのブログですが、オサラマプロジェクトは度重なる停滞を乗り越えて、先日完成しました。

オサラマ 直径約24cm、高さ約8cm



Tomix製スーパーミニカーブレール(R103mm)を使用、急カーブであるため走行できる車輌は極々限られますが、小型車がゆっくり走る光景は、このサイズでも見飽きません。


国鉄キハ03型レールバス

有田鉄道ハイモ180形
もう一つの目的だった、さらに大きなレイアウトを作る前のシーナリー(地形や自然風景)の製作技法の確認も、おおむね達成できたと思います。今回の反省点は、外縁部の処理ですね。もう少しきれいに仕上がる方法を考えておくべきでした。

 レイアウトの高さですが、運転目的の場合は全体を俯瞰できるように、最も高くても胸の高さが限界ですが、このようにただぐるぐる回るだけの運転の楽しさを排除したレイアウトの場合は、レール面を鼻の高さにまで近づけ、レイアウトの中にいるような視点で鑑賞するのが良いようです。

2012年4月8日日曜日

新プロジェクト始動

レイアウト製作から1年が過ぎましたが、遅々として進まないままです。なかなかやる気が出ないというのは困ったもので、さらに買い物に行った100円ショップでプラスチックのお皿を見つけてしまいました。

 直径は約24cmという表示を見て、この上にちょうどTomixのスーパーミニカーブレール(R103mm)が乗るなぁ。と、思ってしまったのが新たなプロジェクトの開始でした。


 乗ることは乗るのですが、さすがはお皿だけに、ふちが高くなっているのでレールが安定しません。1cm厚の発泡スチロール板と、3mm厚のスチレンボードを組み合わせて、皿の直径一杯の平面を確保しました。


 鉄道模型の場合、ジオラマをレイアウトといい、そのなかでも小型のものをパイクといいます。世の中にはいろいろなことを考えつく人がいるもので、盆栽のような鉄道ジオラマという発想の「盆ラマ」なるものまであります。対抗するほどの技量もありませんが、このパイク作成プロジェクトを「オサラマ」と名づけました。
 これ以上作りかけレイアウトを増やすことは出来ません。今日からおよそ1ヵ月後、ゴールデンウィーク明けまでにほぼ完成状態にまで進めていようと思います。

2012年4月7日土曜日

北東北旅行記(5)最終回

3日目 2012年2月4日 三沢~十和田観光電鉄~あけぼの号

 この旅行の計画を立てるにあたって一番苦労したのが、この十和田観光電鉄だった。もともと廃止前に乗りに行くことが基本だったのだが、どうしても青い森鉄道との接続がうまくいかなかった。乗り継ぎ時間が30分ほどあれば、一旦改札を出て駅周辺を見渡して駅舎を撮影したり、また駅に戻って一服点けて、乗り継ぎ列車を撮影して乗り込んでという行動がゆっくりと行える。1時間もあれば軽い食事も取れるだろう。しかし、同じ駅で往復1時間づつ、合計2時間以上乗り継ぎ時間が生じたことは、ワタクシの計画では記憶がない。
 青い森鉄道で三沢に到着したのは13:12だが、十和田観光電鉄の次の電車は14:20までない。古いなりに風格のある十和田観光電鉄の駅舎を出たり入ったりして写真を撮り、構内でそばをすすってもかなり時間を持て余してしまった。
 折り返し列車が到着して、ようやく改札が開かれた。ホームをはさんで十和田市行きになる元東急の電車と、雪カキ器をつけた十和田生え抜きの電気機関車ED301が停まっている。どこの地方電鉄に行ってもお目にかかる元東急にはあまり関心が持てず、もっぱら機関車のほうを撮影した。14:20三沢発。廃止まで2ヶ月を切ったために同業者(鉄道マニア)だけでなく、漏れ聞こえてくる会話から、この地の出身者が別れを惜しんで乗りに来ているらしい。小雪がちらつきだした田畑の中を結構快調に走っていく。14:47終点の十和田市着。昨日乗った花輪線の十和田南駅もそうだが、観光地である十和田湖まではまだかなりの距離がある。バスに乗り継ぐ観光客で賑わったこともあったそうだが、すでに昔話になっているうえに、八戸駅から十和田湖に向かうバスはJRバスに押さえられている。十和田観光電鉄の親会社は国際興業なのだが、どういうわけなのだろう。
 折り返し電車は15:00に発車し三沢には15:26着。次の青い森鉄道青森行きまでまた1時間待ちになる。朝からしつこく接続し続けたJR東日本のサイトに、今夜のあけぼの運休の情報が出ていないことを確認すると、待合室でテレビをぼんやり眺めぐらいしかやることはない。予定では577M16:29に乗って青森へ出ることになっていて、もしあけぼのが運休になれば逆方向の八戸へ向かうつもりだった。予定どおりなら青森に17:42着になる。新青森からは18:14はやぶさ6号、18:28はやて40号、19:33はやて42号があり、時刻表どおりならば、今日中に横浜市内の自宅に帰ることができる。時刻表どおりならばというのが問題で、雪の影響で遅れることになれば東京駅あたりで始発を待つことにもなりかねない。この三沢にいる時点で八戸に向かうか青森に出るかを最終判断しなければならなかった。運が良いのか鉄道各社の努力の賜物か17:42青森に着き、駅弁やら酒やらを買い込んであけぼのの個室に陣取ることが出来た。奥羽本線下り列車が遅れた影響で発車は5分遅れたが、もうこの程度の遅れでイライラする必要もない。
 検札に回ってきた車掌に尋ねると、運行は9日ぶりだという。駅弁を食べ終わるとやることはない。携帯プレーヤーで音楽を聴こうとしたが、それよりもレール音と車窓のほうがワタクシには合っているようだ。駅を通過するごとに時刻表と対照して運行状況を確認し続けてきたが、だいぶ眠くなってきたのでシートを広げてベッドを作って横になる。ちょっと通路がざわめいたのは21:23発予定の秋田だったのだろうか。
 1時過ぎに目が覚めた。時刻どおりならば新発田付近のはずだが車窓には海が見える。1:39に村上到着で、時刻表で確認するとほぼ1時間の遅れになっている。次に目が覚めたのが4時半前で、車窓は白銀の世界ならぬ白いトンネルと化していた。一瞬見えたのは小出だったか、越後湯沢を4:54に通過したが新津以降は時刻表では「レ(通過)」ばかりになっていて、どれぐらい遅れているのかも判断しにくい。うとうとしながら過ごしていた6時過ぎに朝の案内放送があった。現在1時間16分の遅れで、高崎から東京まで新幹線への振り替え乗車処置を取るという。続いて車掌は個室の客を起こして直接案内を始めた。あとになって予定に遅れたどうしてくれると文句を言われないためだろう。ワタクシのところにも回ってきたが、特に急がないので乗り続けると答える。
 寝台特急あけぼの号は特に急がない客を乗せ、高崎を6:39に発車した。1時間21分遅れである。ここまで来てJR東日本もやるべきことはやったので開き直ったのか、6:57に本庄で停車させて高崎線の普通電車2本に追い抜かせた。大宮では1時間54分遅れの8:26発。こうなってくると一つの考えが持ててくる。在来線特急の場合、2時間以上の遅延で特急料金が全額払い戻しになる。これを期待して乗り続けてきたわけでもないが貰えるものに文句はない。上野到着直前に停止して期待をさらに高めてくれたが8:56分にホームに停車した。1時間58分遅れだった。乗り継いで自宅へ帰ることにする。

2012年2月12日日曜日

北東北旅行記(4)

3日目 2012年2月4日 浅虫温泉~三沢

 温泉旅館でゆったり過ごし、快適に目覚めた。朝食時には降っていた雪もやみ、浅虫温泉駅へ向かう。今日は大湊線と十和田観光電鉄を予定しているが、大湊線は運休しているらしい。9:37発の快速しもきた3526Dで直行する予定を一本早い9:09発504Mで野辺地まで先行してみた。9:30着の野辺地駅で大湊線の運行状況を確認すると、朝のうちは運休したが、とりあえず次の快速しもきたは運転されるとのこと。ただし青い森鉄道にはそれ以上の情報は入ってきていないという。ほかでもないこの野辺地から出る路線ぐらいは、他社とはいえ把握できるようにしてほしいものだ。
 野辺地から3725Dになる次の快速しもきたまで時間があるので、駅前に出てみる。久々の晴天に恵まれた町全体で除雪作業が進んでいた。除雪作業というよりも、何日も降り続いた大雪で埋もれた町を発掘しているかのようだ。時間より少し早く駅構内に入らせてもらい、鉄道記念物である鉄道防雪林の碑が見えるホームまで進んでみた。碑とホームの間にレールバスで有名だった南部縦貫鉄道があったはずだが、もとよりその痕跡などうかがえる状況ではなかった。到着時刻が近づいてきたので1番線ホームに戻る。ホームのへり、車体との間にまで雪が積もっている。うっかり体重をかけたら線路に落ちてしまいそうだ。
 ホームに列車が入ってきた。意外なことにキハ110の単行で、車内は混み合っている。ひとまず空席を見つけて腰を据えた。発車してしばらくすると車窓には陸奥湾が広がる。快晴の青空とそれを受けて紺色で静かにうねる海、そして周囲の雪のコントラストは、まぶしく美しい。ただ、陸奥湾の向こう、津軽半島の上空には暗い雲があるのが気になった。大湊線を半分ほど進んだ陸奥横浜を過ぎたころ、その暗雲が近づいて雪が降ってきた。下北、終着の大湊と進むにつれ雪は吹雪になった。10:57大湊着。ここは完全にJR東日本の駅なので、今夜のあけぼのの運転について訪ねると、いまのところ運休の情報は出ていないと言う。もっともこの状況では、いつ運休が決まるかは判らないので、こちらも心の準備はしておく。
 乗ってきた列車でそのまま折り返す予定だが、発車まで1時間近くある。タバコを吸おうと外に出てみたが、初めて体験する吹雪に落ち着いて一服などしていられない。待合室に戻って、駅構内の除雪作業を眺める。待合室のある駅本屋の前にあるのが1番線、列車が止まっているのが隣の2番線で、二つのホームはコの字状につながっている。本来1番線を使用するはずだった列車が2番線に変更されたわけがわかった。まず、駅本屋に積もった雪を下ろさねばならないが、駅前広場側に落とすわけにいかないので線路側に落とすのだ。この段階で1番線側が使用できなくなる。次に1・2番線を除雪するという手順だ。駅構内は込み入っていて機械除雪が出来ない。10人ほどの作業員がチームを組んで、線路上の雪をスコップでホームに放り上げ、ママダンプですくい取って雪捨て場に運ぶ作業を延々と続けている。ありがたさに目頭が熱くなってきた。


発車直前の車内から

 11:52折り返し3730D快速しもきたで野辺地へ戻る。途中の陸奥横浜では臨時の8331Dリゾートあすなろ下北1号と交換。新型ハイブリットディーゼルカーによるリゾート列車だが、このところの天気のせいか車内は閑散としていた。野辺地12:43着、12:46青い森鉄道570M八戸行きに乗り継ぐ、3時間前は快晴だった野辺地も今は雪になっている。三沢に13:12着。ここで今年度いっぱいで廃止になる十和田観光電鉄に乗車する。

2012年2月11日土曜日

北東北旅行記(3)

2日目 2012年2月3日 大館~浅虫温泉

 本来ならここ大館で名物駅弁の鶏めしを買い、13:08発の青森行き特急つがる51号に乗り継ぐ予定だったが、あいにく今日は雪の影響で運休となっている。すでに盛岡にいた時点で運休は知っていたし、後続の普通列車でも青森から先は元計画に戻れるので、ひとまず鶏めしを買って列車を待つことにした。しかし、すでに異変は起きていた。午前中から普通列車の運休も相次いでいて、本来ならすでに大館を出ているはずの青森発秋田行き普通650Mがバス代行になり、そのバスが12:50ごろに大館に到着したのだった。東能代方面へのお客様は~」と案内している駅員に、次の弘前行きに乗る予定だと伝えると、下りはちょっと待ってくれと言われる。あいつぐ運休で多忙なようなので待合室で続報を待つことにする。改札前には今夜の寝台特急あけぼのは運休すると掲示されていた。明日はどうなることかまったくわからない。なんとかなるよとぼんやり考えていると、近所の神社から豆まきの一群がやってきた。すっかり忘れていたが今日は節分だ。しかし何で陣笠をかぶっているのだろう。
 豆まきのご加護か弘前方面運転のめどがついたらしく、弘前行き普通655Mは運転すると放送があった。普通列車でも間に合うところを特急利用でプランを立てたのは、この車内で駅弁を食べる気がしなかったというのが理由である。ロングシートの普通列車では飲食ははばかられるし、第一食べにくい。膝の上の弁当に手を出しかねながら車窓を眺めていると、あらためて雪の多さに驚かされる。大館から弘前の間で秋田青森県境を越えるわけだが、大体県境というのは地形が元になって作られるものであるし、内陸では山の中にある。つまりは雪が積もりやすいということで、雪景色の中を行くというよりも雪を切り開いて列車が走っているような状況になっていた。

 ひとまず列車は走るようになったものの除雪作業はまだ続いていて、駅ごとに作業員が積雪に立ち向かっている。雪がやんだことで、ようやく除雪作業が本格化したのだろう。大鰐温泉駅では、弘南鉄道大鰐線の電車とラッセルヘッドを取り付けた機関車が車体の半分を雪に埋もれさせていた。こちらは降参してしまったらしい。JRマンの懸命の努力のおかげで、こちらは旅行が出来るのである。頭が下がる。


列車からみた後方の様子。碇ヶ関駅

 定刻どおりに走って弘前14:20着。青森行きの普通657Mへの乗り継ぎは3分しかない。乗り継ぎ出来ないような意地悪をするわけがないが、やはり気が急く。隣のホームへ移るべく階段を上っていると、「青森方面へのお客様はバス代行になります、改札前へお越しください」とアナウンスがあった。県境を越えて安心していたら、こっちが不通とは意外だった。改札前に新青森・青森直行とその他各駅停車の列と二つできていたので直行の列に加わり、弘南鉄道側の駅前広場に並んだバスに案内される。仕方がないのでこのバス内で鶏めしを食べることにする。列車に乗れないがっかりした気分だからか、あるいはのろのろ運転のために乗継が気になりだしたこともあるのか、せっかくの鶏めしが美味しく感じられなかった。計画通りにならなくても慌てず次善策を練ったり、別の楽しみ方を見つけることが鉄道旅行には必須と言われるのも、理由があってのことだ。予定ではそろそろ浅虫温泉駅に到着しているころ、ようやく新青森駅。雪原の中に巨大な新幹線駅が威容を誇っていた。16時前にようやく青森駅に到着した。
 予定では15:25発の2554M野辺地行きに乗る予定だったが、16:12発576M八戸行きに乗ることになった。下校時間だとは思うが、混み合っていて空席はなかった。浅虫温泉までは20分ほどなので立っていてもかまわないが、意外な混雑を不思議に思っていたら、青い森鉄道でも運休が相次ぎ、今も間引き運転を行っているとのアナウンスだった。16:31浅虫温泉着。駅から旅館はすぐのようだが、電話をかけて迎えに来てもらう。そろそろ日没が近づき空を赤く染めている。寒さが夕日にますます凄みを与えているような印象だ。迎えの車に乗り込むと「電車動いているんですか」と訊かれた。運休ばかりでキャンセルした客も少なくないらしい。今夜は温泉旅館で骨休めをする。

2012年2月7日火曜日

北東北旅行記(2)

2日目 2012年2月3日 盛岡~大館

 早めに寝たこともあって6時前に目が覚めた。TVをつけてニュースを見ていると、今朝の盛岡の最低気温は-10.5℃だったという。生まれ育った湘南や、今暮らしている横浜では見たこともない数字で、寒さがどれくらいなのか想像もつかなくなってくる。朝食をいただいて早めの8:30にチェックアウト、寒いことは寒いが、快晴で風もないためそれほど寒く感じない。ひとまず今日の旅はIGRいわて銀河鉄道から始めるが、時間があるのでラッシュ終了直前のJRの様子を見に行く。
 県都盛岡とあって、列車が到着するたびに通勤客がドッと降りてくるが、どれも2両から4両の編成なので、すぐに人並みは尽きてしまう。乗客を降ろして一息入れている列車たちは、どれもこれも雪でびっしり覆われて、凄まじい形相になっている。正面はもちろん、床下機器や台車にも雪がへばりついていて、よくこんなになってまで走れるものだと感心した。もっとも耐寒・耐雪装備がしっかり備わった雪国仕様だからこそなのだろう。
 雪国を走るJR車輌たちを愛で慈しむと、改札を出てIGRいわて銀河鉄道の改札へ向かう。盛岡以北の東北本線は、新幹線の開業によって第三セクターに移管されていて、列車はもちろん改札までも分離してしまっている。新幹線改札とほぼ一体に見える華やかなJR改札を出て、駅ビル内を1階に下りる。駅ビルの店舗が開店前の時間帯だからだろうか、ひどく薄暗く感じる1階にIGRいわて銀河鉄道の改札があった。移管のあおりを受けたのが盛岡から北に21.3km離れた好摩から分岐するJR花輪線で、今はIGRいわて銀河鉄道のホームから発車する列車が大半になっていて、継子のようである。今日はこのJR花輪線で大館に出ることから旅が始まる。
 大館を6:36に出た1926Dが9:33到着する。この列車も例のごとく全身に雪をまとい、道中の雪深さを知らせていた。この列車が到着するともう一本JRのディーゼル列車が隣のホームに入り、こちらが9:46の大館行きになる。沿線に大学でもあるのか、二十歳ぐらいの男女と数十人と、近在のおじさんおばさん、そしてカメラをぶら下げた旅行者を乗せて、押しも押されぬ大幹線である東北本線(元)のしっかりした線路の上を、JRのディーゼルカーは快調に飛ばしていく。大学生と思しき男女と近在のおじさんおばさんも下車していき、やや閑散としてきたところで、10:12好摩着。
 ここからがJR花輪線になる。エンジンに身を震わせ、山越えして大館を目指す。好摩を出てすぐ、大更あたりから雪が降りだしてきた。岩手側は晴れているが秋田側は雪が続くとの天気予報だったが、少し早い気がする。さらに山間に入り松尾八幡平では本格的に雪になった。本来ここで上り列車と交換(行き違い)をするダイヤだが、ほとんど時間差無しで到着するはずの上り1928Dの姿が見えない。しばらくするとはるか先にヘッドライトが見え始め、雪まみれの1928Dが駅に近づいてきた。結局4分遅れの発車となった。JRになってから登場したキハ110は、国鉄型を大きく上回る高出力でぐんぐん山登りをしているが、さらにひどくなる雪に少し不安になってきた。横間あたりからは雪が強くなり、これから行く道すら雪に隠されるようになってきた。昨日のやまびこ号ほどではないが、雪を蹴散らしながら走っている。レールが見えなくなっきたため、こちらの不安感は増すが、運転士はひたすら前方を凝視し、駅が近づくと運転台横の時刻表に指を滑らせて到着時刻を確認する、いつもと変わらない運転をしているように見える。ただし松尾八幡平からの4分遅れを引きずっているだから、少しは違う部分もあるのだろう。
 県境を越え、4分遅れのまま十和田南着。ここでは建設時のルートの関係で、山登りとは無関係にスイッチバックする。時刻表では3~4分折り返し時間をとっているようだが、遅れを取り戻すためだろう、運転士と車掌が入れ替わるとすぐに発車した。このあたりから川沿いに走りながら、少しづつ標高が下がっているのが判るようになる。遅れを取り戻した1922Dは定刻12:33大館に到着した。雪はやんでいる。

2012年2月6日月曜日

北東北旅行記(1)

1日目 2012年2月2日 横浜~角館

 東京駅は日本の鉄道の中心である。利用客数こそ新宿駅に追い越されて久しいが、東海道・山陽新幹線と東北・上越新幹線のターミナルということもあって、遠距離客数では大きく上回っている。その新幹線だが、神奈川県に住むワタクシは、のぞみが登場して停車列車が増えてからは新横浜駅を、湘南新宿ラインの運転が増えてからは大宮駅を、それぞれ新幹線への乗り換えに利用している。東京駅の混雑を嫌ってのことで、これはJR東海が品川駅を開業させたようにJR自体も緩和したい考えがあるようだ。新横浜駅や大宮駅も混雑してはいるが、東京駅ほどごちゃごちゃはしていない。新幹線特急料金が僅かだが安くなることもあるが、湘南新宿ラインではグリーン車を利用することも多いので、むしろ旅費総額では高くなっていたりする。

 2012年2月2日、湘南新宿ラインから大宮で新幹線に乗り継ぐべく、横浜駅10番線の横須賀線ホームに立った。予定どうりの7:34発2620E高崎行きに久々の旅行でグリーン車を奮発したが、混雑路線のラッシュ時には着席はかなわなかった。通路に立つこと十数分、武蔵小杉で席が空いたとGAに案内されて二階席に腰を据えた。埼京線の混雑の影響を受けて大宮には3分遅れで到着。
 時間は充分に余裕を持っているので、ゆっくりと新幹線改札へ向かう。喫煙所でのんびり煙を吐きだし、ホームに上って駅弁を物色。9:06発やまびこ53号の列に並ぶ。東京の発車時刻もちょうど良く、昼までに盛岡に到着する列車なので込み合っているかと思ったが、指定席は半分も埋まっていない。16分後に東京を発車するはやて19号に仙台で追い抜かれるダイヤなので、利用客が移っているのだろう。さらに、はやてが停車しない宇都宮や郡山と福島でビジネス客が降りて車内は閑散としてきたが、こんな時間に駅弁をぱくつきビールを飲んでいる旅行者としては、むしろ空いているほうがありがたい。那須塩原を通過するころから、遠くの山に積雪があるのがはっきりと判るようになる。やがて近くの地面も白く覆われだし、トンネルを通過するごとに雪化粧が徐々に積雪になっていく。福島を発車した時点ではまだ青空が見えていたが、白石蔵王が近づくころから雪が降り出し、時折激しく降る雪と列車が巻き上げる雪とで車窓は真っ白になり、何も見えなくなった。
 早朝に小山で信号機故障があり、そのあおりで通過するはずの小山で一旦停止を行ったことから、仙台には3分ほどの遅れで到着した。この仙台ではやて19号と接続するため、はやて乗り換え客が下りていった。仙台は雪が降っている。気になるのはこの先の雪だ。例年にない豪雪で各地で被害が出ていて、出発前日の昨夜は、青森県の国道で100台以上の車が雪で立ち往生しているというニュースがあり、今回はこの国道と並行して走る大湊線や、帰路にはここ数日間運休がつづいている寝台特急あけぼの号を旅程に組んでいる。ある程度余裕を持って計画を立てているが、この先臨機応変が必要になるかもしれない。この先盛岡まで各駅に停車するやまびこ53号は、盛岡まで無停車のはやて19号からの乗り継ぎ客を乗せて発車した。雪は小降りになり、くりこま高原ではふたたび青空が見えるようになったが、積雪はさらに深くなっていて、田畑のあぜ道がどこにあるのかすら判らなくなってきた。時刻どおりに快晴の盛岡に到着。

 空腹を感じなかったので、着替えなどが入ったバッグをコインロッカーに詰めて、こまち号の特急券を買いなおし、再び新幹線ホームに上った。寒いことは寒いが、晴れ渡った冬空のおかげで、寒さを辛く感じない。3021Mこまち21号は17分遅れで盛岡を発車した。雪の影響だそうだが、盛岡着が定時だったワタクシにはやや納得がいかない。わざわざ盛岡で特急券を買いなおした理由だが、秋田新幹線と名前はついているものの実質在来線特急である盛岡・秋田間のこまち号には、特定特急券で乗車できる。この区間は全席指定でも、特定特急券でグリーン車以外の空席に座ることが出来るのだ。要は自由席特急券として扱い、指定席特急券との差額500円分安く乗れることになっている。
 在来線特急になったこまち号は雪深い田沢湖線をゆっくり走る。物珍しさでずっと車窓を眺めていたが、まぶしさでだんだん目が痛くなってくる。単線運転も関係しているのかあまりダイヤは回復せず、15分近く遅れて角館に到着。少しは観光らしいこともしておこうと、武家屋敷を眺めることにしている。あまりに雪がひどいようだったら取りやめることも考えていた行程だったが、幸いにも晴れているので駅前の案内所で地図を貰い、雪を踏んで歩き出した。

 東北の小京都とも言われる角館の武家屋敷街は、雪に埋もれながらも凛とした端正なたたずまいを見せていた。新緑の季節にも紅葉の季節にも、また違った美しさを見せるであろう町並みに感嘆し、シャッターを切りながら歩き続け、ほぼ行き終わったかなと思ったところで屋敷を外から眺めていると、どうぞ中も御覧くださいと声をかけられた。偶然にも現存する最古の屋敷である石黒家で、その造りと歴史、武家の有り様に感心しながら展示を一つ一つ見ていった。礼を言って帰ろうとすると、雪のない季節にまたどうぞといわれる。1時間少々の滞在では失礼なほどの町で、本心からまた来ようと思った。
 来た道をまた歩いて駅に戻る。光の向きが逆になって、また違った見え方をしている。再びシャッターを切りながら歩いて、15時前に角館駅に戻る。田沢湖線の遅れはまだ回復していない。15:17発の普通840Mは9分遅れで発車し、そのまま遅れを引きずって盛岡に到着した。今夜の宿は駅からすぐのビジネスホテルを予約している。部屋で荷物を整理し、駅地下で晩酌と夕食を済ませ、早めに寝た。

2011年6月13日月曜日

ホームの製作(2)

 整形した積層スチレンボードの側面へ、グリーンマックスの石垣を切断して貼り付けていきます。

 カーブしている部分は裏面を切り欠いて、なじませます。

 0.5mm厚のプラ板を貼り付け、石垣部分とホーム上面の高さを合わせて平滑にしたら、筋彫りで隅石を表現した1.2mm厚のプラ板を貼り付けます。曲線部分は隅石部分だけを貼り付けたのち、ホーム表面になるプラ板を現物あわせで貼り付けました。パテで隙間を埋めて乾燥を待ちます。

 乾燥後にペーパーがけして、仕上がりを確認して見ます。

 手間をかけただけあって、隅石の効果も抜群と自己満足…してないで高さも確認して見ましょう

 おおおおおっ!!これまたイイ感じ!!既製品と比べてみてください。

 隅石の筋彫り中は我ながらうんざりしかけましたが、手間に見合った効果はあったようです。このホームの高さを整理すると、ホーム表面1.2mmプラ板+ホーム中層0.5mmプラ板+あんこのスチレンボード3mm厚×3枚+ホームの位置決め&支持板0.5mmプラ板=ベース面からのホームの高さ11.2mmとなります。

2011年6月11日土曜日

ホームの製作

ホーム製作のために、タミヤのスチレンボード3mm厚を買ってきました。Tomixのミニホームセットを型紙にしてプラ板へ罫書き、切り出しラインを決定します。



同じサイズに3枚切り出して貼り合わせ、車両走行に支障がないか確認します。





特に注意が必要な両端のカーブ部分は目標よりやや大きめに切り出して、確認しながら削るという、手間はかかるものの確実な方法を採りました。

2011年5月14日土曜日

電気配線

 このレイアウトでは、本線と側線の2系統の給電になります。線路を小釘で固定して、走行電源の配線を行います。


DCフィーダからの配線を下に逃して


100円ショップで買った固定具で


固定しました。ポイント駆動線はガムテでまとめておきました。


スイッチボード裏面。半田付けが下手なだけでなく、鏝を振り回しているうちにボードを溶かしてしまいました0rz


側線の最末端部分。片ギャップを設置して2列車(2動力車)留置を目論む。

 自分でも設置すべきか迷った部分ですけれど、S280レール1本で済むところをS140レール2本を敷設して片ギャップを設けて、2動力車留置を目論んでみました。末端部はTomixのジョイントを引き抜いて、電源コードを半田付けしたKATO固定式線路用のジョイントを差し込みました。かなり不恰好ですが、この上に車止めを作って、カモフラージュする予定です。

 さて、DCフィーダをどのように処置しましょうか。レールへの給電を確保しなければならないので、むやみに塗装するわけにはいきません。実感と模型の両立を求めて悩みは続きます。

2011年5月9日月曜日

線路を塗った

 ようやく線路への塗装が終了しました。溶剤を浸した綿棒でレール踏面(上面)を拭き取り、さらにレールクリーニング液で仕上げておきました。ボード上にプランどおりに敷設し、実際に車両を走行させて導通に問題がないかチェックします。問題がなかったので、塗り残したジョイント部分へ塗装を施して仕上げにします。


ジョイント部分が未塗装の状態(左)と、塗装後の状態。車両正面のすぐ下にジョイント部分がある。

 かなり手間がかかりましたが、効果は覿面です。レール踏面以外の反射が抑えられて雰囲気が良くなりました。また組み立て式線路特有の目立つジョイント部分、これは導通を確保するために仕方のない部分がありますが、これが目立たなくなったことも雰囲気向上に役立っています。
 多くの模型ファンのホームページやブログを参考にさせていただいて製作を進めていますが、レール塗装後の処置にサンドペーパーで磨きだす手法を取っている方がおられました。磨きだした後の塗料カスの清掃を入念にすることが必要とあり、手数の面のほか、施工者の好みと考え方が反映される部分でしょう。安いとはいえ、今回だけで綿棒を10本以上消費しました。幸い購入した綿棒の軸が紙製でしたので、使用した綿球部分を鋏で切り落として紙軸に溶剤やクリーニング液をしみこませて、ポイントのクロッシング部分(分岐したレールが交差する部分)など、綿球では落としにくい部分の拭き取りに使用しました。

 テストランは快調です。しかしレイアウト製作は始まったばかり。レールの雰囲気が向上したとはいえ、お座敷運転に毛が生えた程度でもたもたしていられません。人呼んで「ベニヤ平原」からの脱出を目指しますが、夢は広がる手は進まずです。

2011年5月4日水曜日

ホームの高さ

 線路を塗装しながら、建設方針を検討します。

 駅を設置するので、当然プラットホームが必要になります。Tomixファイントラックを使用しているので、ホームもTomix製品を使うのが最も簡単です。

 実際のホームの高さを調べてみると、国鉄~JRの場合、電車専用ホームで1100mm、その他の旅客ホーム920mm、未修繕ホーム760mmとなっています。ここで気をつけなければならないのは、このホームの高さはレール面を基準にしているという部分です。模型のホーム建設にはレール面からの高さと基礎(レイアウトボード)からの高さの両方を考慮しなければいけません。Tomixファイントラックの高さ(道床+レール)はおよそ6mmでしたので、日本型Nゲージの縮尺1/150を考慮すると、未修繕の低いホームのレイアウトボードからの高さは11mmでよいはずです。

 …はずなのです。実際のところNゲージのような量産模型の場合、部品の共通化を意図して、実物の車輪のサイズ(直径)の違いを無視しているようです。レール、ホーム、車両を全てTomix製品で比較してみました。

JR西日本キハ187


樽見鉄道ハイモ295-315


国鉄キハ02


 どれもホーム高さとドア下端がほぼ同じ高さになります。バリアフリーが推進されている昨今ですが、やっぱり汽車に乗るときはホームから、よいしょよいしょと登りたいものです。

 最適なホーム高さを求めて模索は続きます。

2011年5月3日火曜日

線路を塗る

 使用するレールが決まりましたので、塗装を開始します。Tomixのファイントラックは非常に良い出来ですが、この後のバラスト(砂利)散布で大半が隠れるとはいえ、グレーの色調は目指すローカル線の雰囲気にしっくりきません。実物では補充と突き固め、入れ替えを行うので、そういう部分があっても良いことは良いのですが、気分の問題です。そして何よりレールの塗装です。車輪が乗る踏面(とうめん)部分はもちろん光っているのですが、側面部分は錆色か埃と油で黒くなっています。さあ、やってみましょう。

 まず最初に道床部分に、タミヤのアクリル塗料XF-52(フラットアース)を筆塗り。次にレールに同じくXF-64(レッドブラウン)を筆塗り。


手前から塗装前、フラットアース、レッドブラウンを塗ったもの。

 一部は確認のためにさらに作業を進めて、枕木へX-1(ブラック)を塗って、踏面を溶剤でぬぐいました。



 雰囲気が良くなります。写真で見るとむらが目立ちますね。後でタッチアップしましょう。


左から右へ作業が進行した状態。右側レールの先端部分は金属ジョイントで接続して導通させるため、塗装しない。

 道床部分のフラットアースはバラストで隠れてしまうので、必要ないかもしれません。手早く済ませるには全体にスプレーでレッドブラウンを吹いて、枕木塗装、拭き上げがよさそうです。ちまちまと筆塗りでレール塗装が続きます。

2011年5月2日月曜日

基礎工事

 プランが決定したら、電気配線に取り掛かります。


 ピンバイスでコードを通す穴を開けます。フィーダ線は配電部を経てからパワーパックへ接続するので、専用のコネクターは後でカットします。ですからコード2本分の小穴でよいのですが、ポイント駆動用はコネクターが通るサイズにしないといけません。コネクターにつばがついていて、さらに大きい穴が必要なことがわかりました。機構上必須というわけでもないようなので、つばをニッパーで切り飛ばして対処しました。


黒いのがカットしたコネクター、白のフィーダ線のコネクタと同じように、つばがついていました。


防振ゴムを貼り付けました。


アングルとプラ板で


配電用のスイッチボードを作りました(仮止めなのでネジは2本だけ)。

2011年5月1日日曜日

レイアウト製作再開の巻

 長らくご無沙汰になってしまいました。以前製作に着手していたレイアウトは曲線の強さのため、ベースボードがフレキシブルレールの反発に負けてしまい、歪んでしまいました。

 そこで今度は、しっかりしたベースボードと、カーブの作りやすさを並立させるべく、写真用全紙パネルとTomixミニカーブレールを使用したプランに切り替えました。手持ちレールと、買い足したレールを使って出来上がったのが、コレです。


 写真の上側に駅を設けて側線と引き上げ線、下側の引込み線を利用して、2列車を交互に運転できるようにしました。安全側線にも見える引き上げ線は本線エンドレス(周回線)から給電が不可能ですので、本線と側線の間にギャップを切って、本線と側線の2系統給電にします。


レールを通じて給電するための金属ジョイントと、絶縁する樹脂ジョイントの部分です。

 プランが決まったとはいえ、ひとまずレール敷設が続きます。
 

2009年10月7日水曜日

ゲージの話を幅広く

 鉄道に興味を持ち始めると最初に車両に目が行き、続いて線路のレールの幅(軌間:ゲージ)の知識を持つ方が多いのではないでしょうか。

現在日本で使われている主なゲージは次のとおりです。
1435mm(国際標準軌) 新幹線、京急、京成、阪神、阪急、京阪、近鉄の一部
1372mm 京王、都電、都営新宿線、函館市電
1067mm JR(国鉄)在来線ほか多くの私鉄
762mm 軽便鉄道に多用。黒部峡谷鉄道、三岐鉄道の一部

 半端な数字のようですが、これは順番に4ft(フィート)8inch(インチ)1/2、4ft6inch、3ft6inch、2ft6inchです。12インチが1フィートですので、標準軌以外は4ft1/2、3ft1/2、2ft1/2とあらわせます。

 さて、国際標準軌が何故この幅かという説明の一つに、二人並んで座る馬車の幅が元だという説があります。現在の通勤電車の一人当たりの幅が460~480mmですが、これはくつろげるサイズではありません。一人当たり60cmもあればだいぶゆったりしてきますので、車輪の間に座席二列を設置する前提で、車輪や客室(キャビン)の揺れなども考えれば、車輪の幅は140cmぐらいに落ち着いてきます。
 車軸の交換の便宜なども考えると、デファクトスタンダードになっていったのでしょう。荷車にも採用されていったのだと思われます。工業が発展してくると、例えば鉱山で荷物を運ぶ需要が出てきます。街道のように石畳を整備するのも面倒なので、板敷きで通路を確保します。踏み外すと面倒なので外れない工夫がされていき、L字のガイド型に作って外れないようにしたり、あるいは車輪にフランジ(つば)をつけるようになります。溝の中を走らせても良いようですが、溝が詰まると面倒です。こうして今の鉄道のレールと車輪の形態に近づいていくのです。
 さらに産業が発展し、ついに鉄道の動力が人力や畜力(牛馬)から機械動力に進化します。蒸気機関車が誕生します。動力が進化しても引っ張る車両は変わりませんから、レールの幅も同じまま鉄道が進化していくのです。

 さて、1372mmというゲージが都電と、京王本線、都営地下鉄新宿線、函館市電で使われています。これはもともと東京馬車鉄道という私鉄のゲージです。何せ馬ですから落し物の問題もあって電化されましたが、線路は引きなおさなかったので、そのまま都電へ引き継がれていきます。
 日本の鉄道の大半が国鉄(JR)と同じ幅なのは、貨物を直通させる狙いからきています。ほかにも中古の車両を使うためであるとかの理由もありますが、お客さんと違って貨物には乗り換えてもらえません。逆に直通や共用を目的にしない鉄道は別のゲージでも構わないことになります。したがって市内や近郊の短距離移動の鉄道は関西を中心に標準軌を採用する傾向が出てきました。
 さて、東京近郊の場合、今の地下鉄直通に似た発想で都電(当時は東京市電)に乗り入れを考える鉄道がありました。京王、京成、京急(当時京浜)がそうです。京急は標準軌で創業しながら、乗り入れのために改軌を実施し、連結運転や高速運転を始めるようになると再び標準軌に戻すという面倒なことをしています。京成も都営地下鉄浅草線を介した京急との三者相互乗り入れのために、標準軌へ改軌しています。京王はそのまま歴史を積み重ねましたが、都営地下鉄新宿線と相互乗り入れを開始することになります。このとき浅草線とゲージが異なることを気にした東京都が改軌を提案したところ、『もともとアンタのところに合わせたんだ!』と言い返されたという噂があります^^;。さらに都営三田線は東武との直通を念頭においていたので1067mmで開業し、都営地下鉄は三種類のゲージで運転されることになったのです。

 相互乗り入れですが、ゲージが合えば良いわけではありません。車両のサイズや、信号、無線などの保安設備、そして電車なら電気方式の問題があります。新幹線は交流2万5千ボルトですが、東海道山陽新幹線は西日本の周波数で、東北上越系統の新幹線は東日本の周波数です。東京駅で線路が繋がっていないのは、こんな理由もあるのです。

2009年9月15日火曜日

ヘンな鉄道(客車編、その一)

 少しずつ涼しくなってきました。鉄道の冷房も随分進みましたが、過去には「暖房車」が
ありました。暖房がついている車輌ではありません。暖房するための車輌です。

 もともと機関車に引っ張られる座席のついた車輌に過ぎなかった客車ですが、照明がつき、
トイレがつき、暖房がつくなど進化していったのです。
 電車の場合は最初から電気ストーブのような形で暖房を設置しましたが、客車には色々な
暖房方式が試されました。今では観光資源にもなった津軽鉄道のようにストーブを設置したり、
廃止された羽後交通のように火鉢を乗せたり。最も簡単ですが車輌が増えてくると管理が
大変です。そこで、蒸気機関車から蒸気をちょっとだけ分けてもらうことにしました。
 蒸気(スチーム)暖房の登場です。必要なものは蒸気パイプと放熱器と水抜きバルブぐらいで、
蒸気機関車を管理できるのなら技術的な問題もありませんから、急速に普及しました。

 ただし、ローカル線には混合列車(ミキスト:mixedの転訛?)といって、客車と貨車が一つの
列車として運転されることがありました。機関車-客車-貨車の順なら良いのですが、機関車-
貨車-客車では蒸気が送られないので、ストーブを乗せたりお客に我慢(!)してもらうことも
あったようです。

 一気に標準となった蒸気暖房ですが、電気機関車やディーゼル機関車で運転を始めると、
暖房方式をどうすればよいのかが問題になりました。ディーゼルカーではラジエーターの
冷却水から熱を採って暖房する方式がありますが、機関車では無理です。仕方がないので
暖房用のボイラーを積んだ客車(見た目はほとんど貨車)を作ることにしました。これが
暖房車です。

 手っ取り早いのは確かですが、冬にだけ列車全体が長く重くなるわ、人件費はかかるわ、
オフシーズンは邪魔だわで、けっこう厄介です。仕方がないので旅客用機関車に暖房用
ボイラーを乗せることにしました。SG搭載機といわれるのがそうです。
 その後、電気機関車から暖房用電源を送電する方式に移行し、客車には蒸気・電気両方を
搭載する改造が行われました。混合列車も減っていき、暖房車は消滅したのです。

2009年8月28日金曜日

トラブル回避と寄り道

 ぐっすり眠った翌朝、朝風呂と朝食を頂いて9時半にチェックアウト。
 曇り空ですが爽快な気分で磐梯熱海駅へ向かいます。なにやらスピーカーを通して、
声が聞こえます。そういえば投票日も近いし選挙カーかな?いや、違う。

「川桁駅で発生しました信号機トラブルにより、ただいま運転を見合わせております」
 ワチャー
「猪苗代、若松方面へはバス輸送の手配を取っております」
 うわぁ

 昨日宿を案内してくれた駅員さんが必死で放送と誘導を行っています。お礼を言いた
かったのですが、それどころではありません。時刻表では9:59に郡山行きと会津若松
行きがすれ違いで発車します。基本プランとしては
 1.会津若松から会津鉄道、野岩鉄道、東武鉄道を経由して栗橋からJRに戻って帰宅
 2.1が無理なら会津若松観光、折り返して郡山経由で帰宅(新幹線利用もアリ)
 3.郡山から東北本線で帰宅。途中下車アリ
バス代行、それも緊急対応となるとなおさら時間が読めません。プラン3を行動の中心に
変更しました。8:46に磐梯熱海を出た喜多方行き快速が川桁の手前から折り返してきて、
猪苗代方面の乗客をバスに誘導し、この列車をそのまま臨時郡山行きに充てるようです。

 とにかく郡山へ行くことにします。ガラガラの臨時郡山行きに陣取りました。運転指令との
やり取りが聴けるように最後尾の乗務員室直近です。
「郡山からの電車が到着次第、発車しま~~す!」
 え?出したの?時刻表をめくると、本来私が乗りたかった会津若松行きです。磐梯熱海から
バス代行が決定したので、そのまま出したのでしょう。当初は10:40ごろとアナウンスしていた
臨時郡山行きは数分遅れ(?)で発車しました。郡山までは15~20分ですから11:19に郡山を
発車する黒磯行きに乗れそうです。

 11時過ぎに郡山着、すぐに黒磯行きに乗り換えます。まだ空席が残っていましたが、11:15
着の福島発の列車からの乗り継ぎが多く、立ち客も随分出ました。東北本線とは言っても、
2両編成のワンマン運転です。それなりの規模のある地方都市で、1時間に一本程度のそれも
等間隔でない列車ダイヤでこれでは、合理化もやりすぎではないでしょうか。もっとも
予想通り20分ほど走った矢吹までに立ち客は解消されましたが。

 列車は快調に白河の関を越えて12:21黒磯着、14分の待ち合わせで宇都宮行きが発車するので、
タバコを吸って食料を買い込みます。もしかしたらとも思いましたが、駅弁はありません。
結局おにぎり2個とペットボトルのお茶になりました。
 もうこの先、帰路にJRの未乗区間はありませんが、このまま帰宅するのも業腹です。私の
大好きな国鉄型ディーゼルカーに乗らずに帰るのは面白くありません。そこで宝積寺から烏山線に
立ち寄ることにしました。13:14宝積寺着。13:36発の烏山行きがありますが、時刻表では
13:20着の列車がそのまま折り返すようです。少し明るく、そして暑くなってきたホームの
ベンチで、夕方のラッシュ時まで昼寝をむさぼるディーゼルカーを眺めながら、おにぎりの
ビニールをはがすのでした。

 国鉄制式エンジンは載せ換えられましたが、車輌重量の関係もあるのか、独特の重みのある
エンジン音とともに烏山線のディーゼルカーが入ってきました。烏山線はここ起点駅の
「宝積寺」と途中駅に「大金」があり、昔から縁起を担いだ切符が販売されたりしていました。
車輌も縁起を担いで七福神をあしらっています。


 13:36定刻発車。一輌運転のワンマン列車です。以前に乗った印象が薄れていて、こんなにアップ
ダウンが激しい路線だったのかと戸惑いました。田を掻きわけ丘を越え川を渡り、14:10烏山着。
 前に来たときは「東力士」の島崎酒造まで出かけたなぁ~などと思い出しつつ、駅でぼんやり
過ごしました。



 14:45烏山発。また来た道を折り返すのが退屈な人もいますが、私の場合は逆の窓側に座るので、
ほとんど退屈しません。ただこの時期、日差しの向きによっては忍耐が必要になります。ちょっと
日が傾いてきた15:26宝積寺着。ラッシュ時に備えた増結作業を眺めて、15:34宇都宮行きに乗車、
15:46宇都宮着。

 餃子の駅弁はなくなりましたが、駅弁発祥の地と言われる宇都宮で「とりめし」を購入。ここからは
グリーン車で帰宅します。駅弁を買う機会も減りましたが、駅弁が食べやすい環境も減りました。

 宇都宮15:59発の列車は上野行き、湘南新宿ライン列車は小金井で乗り継ぐことになります。
この旅で最初で最後、列車の中で駅弁とビールを味わいながら、夕暮れの風景を眺めながら、
また日常へと戻っていくのです。

 「・・・洗濯は明日でいいや・・・」

2009年8月27日木曜日

パラダイス(いろんな意味で)

 さて旅行を存分に楽しみましたが、そろそろ宿を決めなければなりません。一計を案じ
磐越西線のあかべぇ電車に乗ってみます。目指すは15kmほど離れた温泉地「磐梯熱海」。
16:57分磐梯熱海駅着。おあつらえ向きに「駅事務所で宿泊ご案内します」とあります。

 ネットや電話での予約ももちろんしますが、今回の場合いわきでの宿泊も考えていたので、
ほとんど飛び込みの形になりました。気ままな一人旅にも限度はありますが、よく使う方法です。
駅やバス・タクシーの営業所、観光協会や旅館組合の案内所は観光客への顔で、地元業者とは
持ちつ持たれつなので、顔を潰したりするようなことはまずありません。

 降車客を見送ってから、出改札の駅員さんにお願いしてみます。
「今から宿をお願いできますでしょうか」
「ちょっとまってくださいね(何だコイツ胡散臭い・・・)予算はどれくらい?」
「お酒も少々いただいて、ぬ万え千円ぐらいで済むといいのですが・・・?」
 急に活き活きと電話をかける駅員さん。そんなに貧相に見えましたか?それなりに温泉旅館を
楽しむにはこれぐらい見ておいたほうが良いと、思っただけですが・・・。
「磐梯熱海駅デスお世話になってます。今からお一人、ウンウン、ぬ万う千円ネ」
「それでお願いします」


磐梯熱海駅



 私も接客販売が長いのでよくわかります。こんな上客逃すものかという勢い。観光地の駅は
それほど儲かりません。大体のお客はあらかじめ切符を買ってくるからです。帰りに新幹線などの
特急券を売るのが精一杯なのです。それでも観光地の顔として地元と観光客に喜んでもらおうとする
喜びが奮い立たせるのです。私の身なりが貧相なだけで、実に立派な駅員さんです。

 話がまとまると駅員さんは窓口を出て案内してくれました。駅からはっきり見えます。
 栄楽館 http://www.eirakukan.jp/
予備知識無しで来ましたが、『おもてなし』に独特のやり方で力を注いでいるようです。
「これは生半可ではない」去年の冬に泊まった
雲仙観光ホテルhttp://www.unzenkankohotel.com/
のような歴史の重みはありませんが、もてなす心では負けていないでしょう。

 なにはさておき温泉です。早速着替えて・・・えーと、窓を開けると正面にはまさに山紫水明。
下には・・・磐越西線!うぬぅ(知人に、プロのお勧めだけのことはあると言われました)。

 風呂~~メシ~~。そして、時刻表を確認してまたお風呂~~
7階の露天風呂から磐梯熱海駅が見えます。鉄道旅行中ですから、鉄道に生活を制限されるのですが、
まさか風呂までとはwwwwよもや全裸で電車を見送ることになろうとはwwwwぱらだいす~!

美女と鉄オタ

 9:09上菅谷到着。このまま乗り続けても良いのですが、途中下車しました。
ホームからはニコンの生産子会社、水戸ニコンプレシジョンが見えます。が、
これは今回の旅とは関係ありません。ひとつは20分後に支線の常陸太田発の
水戸行きがあること、さらにその後に水戸発常陸太田行きの列車があり、これで
常陸太田まで往復しても、今後のスケジュールには支障をきたさないのです。

 9:23常陸太田行き到着。ホームに向かうとおばちゃんが「これどこ行くの?」と訊ねてきます。
「どこ行くの?これは大田だよ?水戸だったらあっち」

地元民が旅行者に聞くなwwwわかりにくいんですけどね。

 常陸太田までの支線を往復してくると、こんな光景になります。左から、常陸太田-上菅谷
往復列車、常陸大子行き、水戸行き。ワカランでしょう。
 10:56水戸着。お昼を買って常磐線下り列車に乗ります。一本あとの水戸始発いわき行きでも
良いのですが、最近は常磐線もロングシートが増えてきたので、乗車しながら、駅弁を楽しみ
ながらの旅がやりにくくなっているのです。いっそこの列車の終点の高萩まで行って、本来
乗るべき列車を待ちなが昼食にしようと思ったのです。
 インバータを乗せ換えた501系電車は快調に走り続けます。ん?なんかかゆい。
どうして真昼間に、電車の中で蚊に刺されますか!?爪で×印をつけながら11:56高萩着。

 ビクッ!12時の工場のサイレンが鳴りました。廃車回送された京浜東北線209系電車を眺めながら、
水戸駅で買った「とんちゃん」を味わったり、インバータを乗せ換えていない501系の走行音を聞いたり、
午餐のひと時を送りました。

 12:09いわき(旧:平)行き発車。勿来の関を越えて再び福島県に入りました。13:05いわき着。
8分の待ち合わせで磐越東線郡山行きが発車します。
 絶景とまではいえないものの、紅葉の時期にはさぞ美しかろうという山中へ分け入り、13:56
小野新町到着。このまま乗り続けても良いのですが、15:28にも折り返し郡山行きがあります。
ここまで順調に来たので、ぶらり途中下車の旅をして見ましょう。


 数人が降りましたが私が駅周辺をふらついている間に消え去り、タクシーも暇そうです。
この侘びしさは暑さだけのせいではありますまい。駅前の案内看板を眺めてみましょう。
 ・・・小野小町生誕の地?リカちゃんキャッスル?
やっぱり下調べをしておいた方が良かったのでしょうか?いい年こいた鉄オタ男性が一人、
リカちゃんキャッスルを見学する姿は、我ながら鳥肌が立ちますので止めておいて、
小野小町生誕の地へ行ってみましょう。



 ・・・なんかこう、もう少し盛り上げているのかと思いきや、質素です。これで町おこしだ!ドーン!を、
やってあきらめたのか、元からやらなくてもいいと考えたのか、夏の日を一杯に浴び碑は佇んでいました。 

 リカちゃんキャッスル
 
http://www.liccacastle.co.jp/



 小野新町駅を発車したいわき行き

 15:28発の折り返し郡山行きの乗客は私のほかに一人でした。それでも下校する高校生が増え始め、
立ち客が目立ち始めた16:19郡山着。10時間あまりで一周してきました。

 コインロッカーから荷物を取り出して、「今夜はどこに泊まろうか」・・・・・・えっ?!