2012年2月11日土曜日

北東北旅行記(3)

2日目 2012年2月3日 大館~浅虫温泉

 本来ならここ大館で名物駅弁の鶏めしを買い、13:08発の青森行き特急つがる51号に乗り継ぐ予定だったが、あいにく今日は雪の影響で運休となっている。すでに盛岡にいた時点で運休は知っていたし、後続の普通列車でも青森から先は元計画に戻れるので、ひとまず鶏めしを買って列車を待つことにした。しかし、すでに異変は起きていた。午前中から普通列車の運休も相次いでいて、本来ならすでに大館を出ているはずの青森発秋田行き普通650Mがバス代行になり、そのバスが12:50ごろに大館に到着したのだった。東能代方面へのお客様は~」と案内している駅員に、次の弘前行きに乗る予定だと伝えると、下りはちょっと待ってくれと言われる。あいつぐ運休で多忙なようなので待合室で続報を待つことにする。改札前には今夜の寝台特急あけぼのは運休すると掲示されていた。明日はどうなることかまったくわからない。なんとかなるよとぼんやり考えていると、近所の神社から豆まきの一群がやってきた。すっかり忘れていたが今日は節分だ。しかし何で陣笠をかぶっているのだろう。
 豆まきのご加護か弘前方面運転のめどがついたらしく、弘前行き普通655Mは運転すると放送があった。普通列車でも間に合うところを特急利用でプランを立てたのは、この車内で駅弁を食べる気がしなかったというのが理由である。ロングシートの普通列車では飲食ははばかられるし、第一食べにくい。膝の上の弁当に手を出しかねながら車窓を眺めていると、あらためて雪の多さに驚かされる。大館から弘前の間で秋田青森県境を越えるわけだが、大体県境というのは地形が元になって作られるものであるし、内陸では山の中にある。つまりは雪が積もりやすいということで、雪景色の中を行くというよりも雪を切り開いて列車が走っているような状況になっていた。

 ひとまず列車は走るようになったものの除雪作業はまだ続いていて、駅ごとに作業員が積雪に立ち向かっている。雪がやんだことで、ようやく除雪作業が本格化したのだろう。大鰐温泉駅では、弘南鉄道大鰐線の電車とラッセルヘッドを取り付けた機関車が車体の半分を雪に埋もれさせていた。こちらは降参してしまったらしい。JRマンの懸命の努力のおかげで、こちらは旅行が出来るのである。頭が下がる。


列車からみた後方の様子。碇ヶ関駅

 定刻どおりに走って弘前14:20着。青森行きの普通657Mへの乗り継ぎは3分しかない。乗り継ぎ出来ないような意地悪をするわけがないが、やはり気が急く。隣のホームへ移るべく階段を上っていると、「青森方面へのお客様はバス代行になります、改札前へお越しください」とアナウンスがあった。県境を越えて安心していたら、こっちが不通とは意外だった。改札前に新青森・青森直行とその他各駅停車の列と二つできていたので直行の列に加わり、弘南鉄道側の駅前広場に並んだバスに案内される。仕方がないのでこのバス内で鶏めしを食べることにする。列車に乗れないがっかりした気分だからか、あるいはのろのろ運転のために乗継が気になりだしたこともあるのか、せっかくの鶏めしが美味しく感じられなかった。計画通りにならなくても慌てず次善策を練ったり、別の楽しみ方を見つけることが鉄道旅行には必須と言われるのも、理由があってのことだ。予定ではそろそろ浅虫温泉駅に到着しているころ、ようやく新青森駅。雪原の中に巨大な新幹線駅が威容を誇っていた。16時前にようやく青森駅に到着した。
 予定では15:25発の2554M野辺地行きに乗る予定だったが、16:12発576M八戸行きに乗ることになった。下校時間だとは思うが、混み合っていて空席はなかった。浅虫温泉までは20分ほどなので立っていてもかまわないが、意外な混雑を不思議に思っていたら、青い森鉄道でも運休が相次ぎ、今も間引き運転を行っているとのアナウンスだった。16:31浅虫温泉着。駅から旅館はすぐのようだが、電話をかけて迎えに来てもらう。そろそろ日没が近づき空を赤く染めている。寒さが夕日にますます凄みを与えているような印象だ。迎えの車に乗り込むと「電車動いているんですか」と訊かれた。運休ばかりでキャンセルした客も少なくないらしい。今夜は温泉旅館で骨休めをする。

2012年2月7日火曜日

北東北旅行記(2)

2日目 2012年2月3日 盛岡~大館

 早めに寝たこともあって6時前に目が覚めた。TVをつけてニュースを見ていると、今朝の盛岡の最低気温は-10.5℃だったという。生まれ育った湘南や、今暮らしている横浜では見たこともない数字で、寒さがどれくらいなのか想像もつかなくなってくる。朝食をいただいて早めの8:30にチェックアウト、寒いことは寒いが、快晴で風もないためそれほど寒く感じない。ひとまず今日の旅はIGRいわて銀河鉄道から始めるが、時間があるのでラッシュ終了直前のJRの様子を見に行く。
 県都盛岡とあって、列車が到着するたびに通勤客がドッと降りてくるが、どれも2両から4両の編成なので、すぐに人並みは尽きてしまう。乗客を降ろして一息入れている列車たちは、どれもこれも雪でびっしり覆われて、凄まじい形相になっている。正面はもちろん、床下機器や台車にも雪がへばりついていて、よくこんなになってまで走れるものだと感心した。もっとも耐寒・耐雪装備がしっかり備わった雪国仕様だからこそなのだろう。
 雪国を走るJR車輌たちを愛で慈しむと、改札を出てIGRいわて銀河鉄道の改札へ向かう。盛岡以北の東北本線は、新幹線の開業によって第三セクターに移管されていて、列車はもちろん改札までも分離してしまっている。新幹線改札とほぼ一体に見える華やかなJR改札を出て、駅ビル内を1階に下りる。駅ビルの店舗が開店前の時間帯だからだろうか、ひどく薄暗く感じる1階にIGRいわて銀河鉄道の改札があった。移管のあおりを受けたのが盛岡から北に21.3km離れた好摩から分岐するJR花輪線で、今はIGRいわて銀河鉄道のホームから発車する列車が大半になっていて、継子のようである。今日はこのJR花輪線で大館に出ることから旅が始まる。
 大館を6:36に出た1926Dが9:33到着する。この列車も例のごとく全身に雪をまとい、道中の雪深さを知らせていた。この列車が到着するともう一本JRのディーゼル列車が隣のホームに入り、こちらが9:46の大館行きになる。沿線に大学でもあるのか、二十歳ぐらいの男女と数十人と、近在のおじさんおばさん、そしてカメラをぶら下げた旅行者を乗せて、押しも押されぬ大幹線である東北本線(元)のしっかりした線路の上を、JRのディーゼルカーは快調に飛ばしていく。大学生と思しき男女と近在のおじさんおばさんも下車していき、やや閑散としてきたところで、10:12好摩着。
 ここからがJR花輪線になる。エンジンに身を震わせ、山越えして大館を目指す。好摩を出てすぐ、大更あたりから雪が降りだしてきた。岩手側は晴れているが秋田側は雪が続くとの天気予報だったが、少し早い気がする。さらに山間に入り松尾八幡平では本格的に雪になった。本来ここで上り列車と交換(行き違い)をするダイヤだが、ほとんど時間差無しで到着するはずの上り1928Dの姿が見えない。しばらくするとはるか先にヘッドライトが見え始め、雪まみれの1928Dが駅に近づいてきた。結局4分遅れの発車となった。JRになってから登場したキハ110は、国鉄型を大きく上回る高出力でぐんぐん山登りをしているが、さらにひどくなる雪に少し不安になってきた。横間あたりからは雪が強くなり、これから行く道すら雪に隠されるようになってきた。昨日のやまびこ号ほどではないが、雪を蹴散らしながら走っている。レールが見えなくなっきたため、こちらの不安感は増すが、運転士はひたすら前方を凝視し、駅が近づくと運転台横の時刻表に指を滑らせて到着時刻を確認する、いつもと変わらない運転をしているように見える。ただし松尾八幡平からの4分遅れを引きずっているだから、少しは違う部分もあるのだろう。
 県境を越え、4分遅れのまま十和田南着。ここでは建設時のルートの関係で、山登りとは無関係にスイッチバックする。時刻表では3~4分折り返し時間をとっているようだが、遅れを取り戻すためだろう、運転士と車掌が入れ替わるとすぐに発車した。このあたりから川沿いに走りながら、少しづつ標高が下がっているのが判るようになる。遅れを取り戻した1922Dは定刻12:33大館に到着した。雪はやんでいる。

2012年2月6日月曜日

北東北旅行記(1)

1日目 2012年2月2日 横浜~角館

 東京駅は日本の鉄道の中心である。利用客数こそ新宿駅に追い越されて久しいが、東海道・山陽新幹線と東北・上越新幹線のターミナルということもあって、遠距離客数では大きく上回っている。その新幹線だが、神奈川県に住むワタクシは、のぞみが登場して停車列車が増えてからは新横浜駅を、湘南新宿ラインの運転が増えてからは大宮駅を、それぞれ新幹線への乗り換えに利用している。東京駅の混雑を嫌ってのことで、これはJR東海が品川駅を開業させたようにJR自体も緩和したい考えがあるようだ。新横浜駅や大宮駅も混雑してはいるが、東京駅ほどごちゃごちゃはしていない。新幹線特急料金が僅かだが安くなることもあるが、湘南新宿ラインではグリーン車を利用することも多いので、むしろ旅費総額では高くなっていたりする。

 2012年2月2日、湘南新宿ラインから大宮で新幹線に乗り継ぐべく、横浜駅10番線の横須賀線ホームに立った。予定どうりの7:34発2620E高崎行きに久々の旅行でグリーン車を奮発したが、混雑路線のラッシュ時には着席はかなわなかった。通路に立つこと十数分、武蔵小杉で席が空いたとGAに案内されて二階席に腰を据えた。埼京線の混雑の影響を受けて大宮には3分遅れで到着。
 時間は充分に余裕を持っているので、ゆっくりと新幹線改札へ向かう。喫煙所でのんびり煙を吐きだし、ホームに上って駅弁を物色。9:06発やまびこ53号の列に並ぶ。東京の発車時刻もちょうど良く、昼までに盛岡に到着する列車なので込み合っているかと思ったが、指定席は半分も埋まっていない。16分後に東京を発車するはやて19号に仙台で追い抜かれるダイヤなので、利用客が移っているのだろう。さらに、はやてが停車しない宇都宮や郡山と福島でビジネス客が降りて車内は閑散としてきたが、こんな時間に駅弁をぱくつきビールを飲んでいる旅行者としては、むしろ空いているほうがありがたい。那須塩原を通過するころから、遠くの山に積雪があるのがはっきりと判るようになる。やがて近くの地面も白く覆われだし、トンネルを通過するごとに雪化粧が徐々に積雪になっていく。福島を発車した時点ではまだ青空が見えていたが、白石蔵王が近づくころから雪が降り出し、時折激しく降る雪と列車が巻き上げる雪とで車窓は真っ白になり、何も見えなくなった。
 早朝に小山で信号機故障があり、そのあおりで通過するはずの小山で一旦停止を行ったことから、仙台には3分ほどの遅れで到着した。この仙台ではやて19号と接続するため、はやて乗り換え客が下りていった。仙台は雪が降っている。気になるのはこの先の雪だ。例年にない豪雪で各地で被害が出ていて、出発前日の昨夜は、青森県の国道で100台以上の車が雪で立ち往生しているというニュースがあり、今回はこの国道と並行して走る大湊線や、帰路にはここ数日間運休がつづいている寝台特急あけぼの号を旅程に組んでいる。ある程度余裕を持って計画を立てているが、この先臨機応変が必要になるかもしれない。この先盛岡まで各駅に停車するやまびこ53号は、盛岡まで無停車のはやて19号からの乗り継ぎ客を乗せて発車した。雪は小降りになり、くりこま高原ではふたたび青空が見えるようになったが、積雪はさらに深くなっていて、田畑のあぜ道がどこにあるのかすら判らなくなってきた。時刻どおりに快晴の盛岡に到着。

 空腹を感じなかったので、着替えなどが入ったバッグをコインロッカーに詰めて、こまち号の特急券を買いなおし、再び新幹線ホームに上った。寒いことは寒いが、晴れ渡った冬空のおかげで、寒さを辛く感じない。3021Mこまち21号は17分遅れで盛岡を発車した。雪の影響だそうだが、盛岡着が定時だったワタクシにはやや納得がいかない。わざわざ盛岡で特急券を買いなおした理由だが、秋田新幹線と名前はついているものの実質在来線特急である盛岡・秋田間のこまち号には、特定特急券で乗車できる。この区間は全席指定でも、特定特急券でグリーン車以外の空席に座ることが出来るのだ。要は自由席特急券として扱い、指定席特急券との差額500円分安く乗れることになっている。
 在来線特急になったこまち号は雪深い田沢湖線をゆっくり走る。物珍しさでずっと車窓を眺めていたが、まぶしさでだんだん目が痛くなってくる。単線運転も関係しているのかあまりダイヤは回復せず、15分近く遅れて角館に到着。少しは観光らしいこともしておこうと、武家屋敷を眺めることにしている。あまりに雪がひどいようだったら取りやめることも考えていた行程だったが、幸いにも晴れているので駅前の案内所で地図を貰い、雪を踏んで歩き出した。

 東北の小京都とも言われる角館の武家屋敷街は、雪に埋もれながらも凛とした端正なたたずまいを見せていた。新緑の季節にも紅葉の季節にも、また違った美しさを見せるであろう町並みに感嘆し、シャッターを切りながら歩き続け、ほぼ行き終わったかなと思ったところで屋敷を外から眺めていると、どうぞ中も御覧くださいと声をかけられた。偶然にも現存する最古の屋敷である石黒家で、その造りと歴史、武家の有り様に感心しながら展示を一つ一つ見ていった。礼を言って帰ろうとすると、雪のない季節にまたどうぞといわれる。1時間少々の滞在では失礼なほどの町で、本心からまた来ようと思った。
 来た道をまた歩いて駅に戻る。光の向きが逆になって、また違った見え方をしている。再びシャッターを切りながら歩いて、15時前に角館駅に戻る。田沢湖線の遅れはまだ回復していない。15:17発の普通840Mは9分遅れで発車し、そのまま遅れを引きずって盛岡に到着した。今夜の宿は駅からすぐのビジネスホテルを予約している。部屋で荷物を整理し、駅地下で晩酌と夕食を済ませ、早めに寝た。