2014年3月18日火曜日

オサラマ完成していました。

 長いことほったらかしになっていたこのブログですが、オサラマプロジェクトは度重なる停滞を乗り越えて、先日完成しました。

オサラマ 直径約24cm、高さ約8cm



Tomix製スーパーミニカーブレール(R103mm)を使用、急カーブであるため走行できる車輌は極々限られますが、小型車がゆっくり走る光景は、このサイズでも見飽きません。


国鉄キハ03型レールバス

有田鉄道ハイモ180形
もう一つの目的だった、さらに大きなレイアウトを作る前のシーナリー(地形や自然風景)の製作技法の確認も、おおむね達成できたと思います。今回の反省点は、外縁部の処理ですね。もう少しきれいに仕上がる方法を考えておくべきでした。

 レイアウトの高さですが、運転目的の場合は全体を俯瞰できるように、最も高くても胸の高さが限界ですが、このようにただぐるぐる回るだけの運転の楽しさを排除したレイアウトの場合は、レール面を鼻の高さにまで近づけ、レイアウトの中にいるような視点で鑑賞するのが良いようです。

2012年4月8日日曜日

新プロジェクト始動

レイアウト製作から1年が過ぎましたが、遅々として進まないままです。なかなかやる気が出ないというのは困ったもので、さらに買い物に行った100円ショップでプラスチックのお皿を見つけてしまいました。

 直径は約24cmという表示を見て、この上にちょうどTomixのスーパーミニカーブレール(R103mm)が乗るなぁ。と、思ってしまったのが新たなプロジェクトの開始でした。


 乗ることは乗るのですが、さすがはお皿だけに、ふちが高くなっているのでレールが安定しません。1cm厚の発泡スチロール板と、3mm厚のスチレンボードを組み合わせて、皿の直径一杯の平面を確保しました。


 鉄道模型の場合、ジオラマをレイアウトといい、そのなかでも小型のものをパイクといいます。世の中にはいろいろなことを考えつく人がいるもので、盆栽のような鉄道ジオラマという発想の「盆ラマ」なるものまであります。対抗するほどの技量もありませんが、このパイク作成プロジェクトを「オサラマ」と名づけました。
 これ以上作りかけレイアウトを増やすことは出来ません。今日からおよそ1ヵ月後、ゴールデンウィーク明けまでにほぼ完成状態にまで進めていようと思います。

2012年4月7日土曜日

北東北旅行記(5)最終回

3日目 2012年2月4日 三沢~十和田観光電鉄~あけぼの号

 この旅行の計画を立てるにあたって一番苦労したのが、この十和田観光電鉄だった。もともと廃止前に乗りに行くことが基本だったのだが、どうしても青い森鉄道との接続がうまくいかなかった。乗り継ぎ時間が30分ほどあれば、一旦改札を出て駅周辺を見渡して駅舎を撮影したり、また駅に戻って一服点けて、乗り継ぎ列車を撮影して乗り込んでという行動がゆっくりと行える。1時間もあれば軽い食事も取れるだろう。しかし、同じ駅で往復1時間づつ、合計2時間以上乗り継ぎ時間が生じたことは、ワタクシの計画では記憶がない。
 青い森鉄道で三沢に到着したのは13:12だが、十和田観光電鉄の次の電車は14:20までない。古いなりに風格のある十和田観光電鉄の駅舎を出たり入ったりして写真を撮り、構内でそばをすすってもかなり時間を持て余してしまった。
 折り返し列車が到着して、ようやく改札が開かれた。ホームをはさんで十和田市行きになる元東急の電車と、雪カキ器をつけた十和田生え抜きの電気機関車ED301が停まっている。どこの地方電鉄に行ってもお目にかかる元東急にはあまり関心が持てず、もっぱら機関車のほうを撮影した。14:20三沢発。廃止まで2ヶ月を切ったために同業者(鉄道マニア)だけでなく、漏れ聞こえてくる会話から、この地の出身者が別れを惜しんで乗りに来ているらしい。小雪がちらつきだした田畑の中を結構快調に走っていく。14:47終点の十和田市着。昨日乗った花輪線の十和田南駅もそうだが、観光地である十和田湖まではまだかなりの距離がある。バスに乗り継ぐ観光客で賑わったこともあったそうだが、すでに昔話になっているうえに、八戸駅から十和田湖に向かうバスはJRバスに押さえられている。十和田観光電鉄の親会社は国際興業なのだが、どういうわけなのだろう。
 折り返し電車は15:00に発車し三沢には15:26着。次の青い森鉄道青森行きまでまた1時間待ちになる。朝からしつこく接続し続けたJR東日本のサイトに、今夜のあけぼの運休の情報が出ていないことを確認すると、待合室でテレビをぼんやり眺めぐらいしかやることはない。予定では577M16:29に乗って青森へ出ることになっていて、もしあけぼのが運休になれば逆方向の八戸へ向かうつもりだった。予定どおりなら青森に17:42着になる。新青森からは18:14はやぶさ6号、18:28はやて40号、19:33はやて42号があり、時刻表どおりならば、今日中に横浜市内の自宅に帰ることができる。時刻表どおりならばというのが問題で、雪の影響で遅れることになれば東京駅あたりで始発を待つことにもなりかねない。この三沢にいる時点で八戸に向かうか青森に出るかを最終判断しなければならなかった。運が良いのか鉄道各社の努力の賜物か17:42青森に着き、駅弁やら酒やらを買い込んであけぼのの個室に陣取ることが出来た。奥羽本線下り列車が遅れた影響で発車は5分遅れたが、もうこの程度の遅れでイライラする必要もない。
 検札に回ってきた車掌に尋ねると、運行は9日ぶりだという。駅弁を食べ終わるとやることはない。携帯プレーヤーで音楽を聴こうとしたが、それよりもレール音と車窓のほうがワタクシには合っているようだ。駅を通過するごとに時刻表と対照して運行状況を確認し続けてきたが、だいぶ眠くなってきたのでシートを広げてベッドを作って横になる。ちょっと通路がざわめいたのは21:23発予定の秋田だったのだろうか。
 1時過ぎに目が覚めた。時刻どおりならば新発田付近のはずだが車窓には海が見える。1:39に村上到着で、時刻表で確認するとほぼ1時間の遅れになっている。次に目が覚めたのが4時半前で、車窓は白銀の世界ならぬ白いトンネルと化していた。一瞬見えたのは小出だったか、越後湯沢を4:54に通過したが新津以降は時刻表では「レ(通過)」ばかりになっていて、どれぐらい遅れているのかも判断しにくい。うとうとしながら過ごしていた6時過ぎに朝の案内放送があった。現在1時間16分の遅れで、高崎から東京まで新幹線への振り替え乗車処置を取るという。続いて車掌は個室の客を起こして直接案内を始めた。あとになって予定に遅れたどうしてくれると文句を言われないためだろう。ワタクシのところにも回ってきたが、特に急がないので乗り続けると答える。
 寝台特急あけぼの号は特に急がない客を乗せ、高崎を6:39に発車した。1時間21分遅れである。ここまで来てJR東日本もやるべきことはやったので開き直ったのか、6:57に本庄で停車させて高崎線の普通電車2本に追い抜かせた。大宮では1時間54分遅れの8:26発。こうなってくると一つの考えが持ててくる。在来線特急の場合、2時間以上の遅延で特急料金が全額払い戻しになる。これを期待して乗り続けてきたわけでもないが貰えるものに文句はない。上野到着直前に停止して期待をさらに高めてくれたが8:56分にホームに停車した。1時間58分遅れだった。乗り継いで自宅へ帰ることにする。

2012年2月12日日曜日

北東北旅行記(4)

3日目 2012年2月4日 浅虫温泉~三沢

 温泉旅館でゆったり過ごし、快適に目覚めた。朝食時には降っていた雪もやみ、浅虫温泉駅へ向かう。今日は大湊線と十和田観光電鉄を予定しているが、大湊線は運休しているらしい。9:37発の快速しもきた3526Dで直行する予定を一本早い9:09発504Mで野辺地まで先行してみた。9:30着の野辺地駅で大湊線の運行状況を確認すると、朝のうちは運休したが、とりあえず次の快速しもきたは運転されるとのこと。ただし青い森鉄道にはそれ以上の情報は入ってきていないという。ほかでもないこの野辺地から出る路線ぐらいは、他社とはいえ把握できるようにしてほしいものだ。
 野辺地から3725Dになる次の快速しもきたまで時間があるので、駅前に出てみる。久々の晴天に恵まれた町全体で除雪作業が進んでいた。除雪作業というよりも、何日も降り続いた大雪で埋もれた町を発掘しているかのようだ。時間より少し早く駅構内に入らせてもらい、鉄道記念物である鉄道防雪林の碑が見えるホームまで進んでみた。碑とホームの間にレールバスで有名だった南部縦貫鉄道があったはずだが、もとよりその痕跡などうかがえる状況ではなかった。到着時刻が近づいてきたので1番線ホームに戻る。ホームのへり、車体との間にまで雪が積もっている。うっかり体重をかけたら線路に落ちてしまいそうだ。
 ホームに列車が入ってきた。意外なことにキハ110の単行で、車内は混み合っている。ひとまず空席を見つけて腰を据えた。発車してしばらくすると車窓には陸奥湾が広がる。快晴の青空とそれを受けて紺色で静かにうねる海、そして周囲の雪のコントラストは、まぶしく美しい。ただ、陸奥湾の向こう、津軽半島の上空には暗い雲があるのが気になった。大湊線を半分ほど進んだ陸奥横浜を過ぎたころ、その暗雲が近づいて雪が降ってきた。下北、終着の大湊と進むにつれ雪は吹雪になった。10:57大湊着。ここは完全にJR東日本の駅なので、今夜のあけぼのの運転について訪ねると、いまのところ運休の情報は出ていないと言う。もっともこの状況では、いつ運休が決まるかは判らないので、こちらも心の準備はしておく。
 乗ってきた列車でそのまま折り返す予定だが、発車まで1時間近くある。タバコを吸おうと外に出てみたが、初めて体験する吹雪に落ち着いて一服などしていられない。待合室に戻って、駅構内の除雪作業を眺める。待合室のある駅本屋の前にあるのが1番線、列車が止まっているのが隣の2番線で、二つのホームはコの字状につながっている。本来1番線を使用するはずだった列車が2番線に変更されたわけがわかった。まず、駅本屋に積もった雪を下ろさねばならないが、駅前広場側に落とすわけにいかないので線路側に落とすのだ。この段階で1番線側が使用できなくなる。次に1・2番線を除雪するという手順だ。駅構内は込み入っていて機械除雪が出来ない。10人ほどの作業員がチームを組んで、線路上の雪をスコップでホームに放り上げ、ママダンプですくい取って雪捨て場に運ぶ作業を延々と続けている。ありがたさに目頭が熱くなってきた。


発車直前の車内から

 11:52折り返し3730D快速しもきたで野辺地へ戻る。途中の陸奥横浜では臨時の8331Dリゾートあすなろ下北1号と交換。新型ハイブリットディーゼルカーによるリゾート列車だが、このところの天気のせいか車内は閑散としていた。野辺地12:43着、12:46青い森鉄道570M八戸行きに乗り継ぐ、3時間前は快晴だった野辺地も今は雪になっている。三沢に13:12着。ここで今年度いっぱいで廃止になる十和田観光電鉄に乗車する。

2012年2月11日土曜日

北東北旅行記(3)

2日目 2012年2月3日 大館~浅虫温泉

 本来ならここ大館で名物駅弁の鶏めしを買い、13:08発の青森行き特急つがる51号に乗り継ぐ予定だったが、あいにく今日は雪の影響で運休となっている。すでに盛岡にいた時点で運休は知っていたし、後続の普通列車でも青森から先は元計画に戻れるので、ひとまず鶏めしを買って列車を待つことにした。しかし、すでに異変は起きていた。午前中から普通列車の運休も相次いでいて、本来ならすでに大館を出ているはずの青森発秋田行き普通650Mがバス代行になり、そのバスが12:50ごろに大館に到着したのだった。東能代方面へのお客様は~」と案内している駅員に、次の弘前行きに乗る予定だと伝えると、下りはちょっと待ってくれと言われる。あいつぐ運休で多忙なようなので待合室で続報を待つことにする。改札前には今夜の寝台特急あけぼのは運休すると掲示されていた。明日はどうなることかまったくわからない。なんとかなるよとぼんやり考えていると、近所の神社から豆まきの一群がやってきた。すっかり忘れていたが今日は節分だ。しかし何で陣笠をかぶっているのだろう。
 豆まきのご加護か弘前方面運転のめどがついたらしく、弘前行き普通655Mは運転すると放送があった。普通列車でも間に合うところを特急利用でプランを立てたのは、この車内で駅弁を食べる気がしなかったというのが理由である。ロングシートの普通列車では飲食ははばかられるし、第一食べにくい。膝の上の弁当に手を出しかねながら車窓を眺めていると、あらためて雪の多さに驚かされる。大館から弘前の間で秋田青森県境を越えるわけだが、大体県境というのは地形が元になって作られるものであるし、内陸では山の中にある。つまりは雪が積もりやすいということで、雪景色の中を行くというよりも雪を切り開いて列車が走っているような状況になっていた。

 ひとまず列車は走るようになったものの除雪作業はまだ続いていて、駅ごとに作業員が積雪に立ち向かっている。雪がやんだことで、ようやく除雪作業が本格化したのだろう。大鰐温泉駅では、弘南鉄道大鰐線の電車とラッセルヘッドを取り付けた機関車が車体の半分を雪に埋もれさせていた。こちらは降参してしまったらしい。JRマンの懸命の努力のおかげで、こちらは旅行が出来るのである。頭が下がる。


列車からみた後方の様子。碇ヶ関駅

 定刻どおりに走って弘前14:20着。青森行きの普通657Mへの乗り継ぎは3分しかない。乗り継ぎ出来ないような意地悪をするわけがないが、やはり気が急く。隣のホームへ移るべく階段を上っていると、「青森方面へのお客様はバス代行になります、改札前へお越しください」とアナウンスがあった。県境を越えて安心していたら、こっちが不通とは意外だった。改札前に新青森・青森直行とその他各駅停車の列と二つできていたので直行の列に加わり、弘南鉄道側の駅前広場に並んだバスに案内される。仕方がないのでこのバス内で鶏めしを食べることにする。列車に乗れないがっかりした気分だからか、あるいはのろのろ運転のために乗継が気になりだしたこともあるのか、せっかくの鶏めしが美味しく感じられなかった。計画通りにならなくても慌てず次善策を練ったり、別の楽しみ方を見つけることが鉄道旅行には必須と言われるのも、理由があってのことだ。予定ではそろそろ浅虫温泉駅に到着しているころ、ようやく新青森駅。雪原の中に巨大な新幹線駅が威容を誇っていた。16時前にようやく青森駅に到着した。
 予定では15:25発の2554M野辺地行きに乗る予定だったが、16:12発576M八戸行きに乗ることになった。下校時間だとは思うが、混み合っていて空席はなかった。浅虫温泉までは20分ほどなので立っていてもかまわないが、意外な混雑を不思議に思っていたら、青い森鉄道でも運休が相次ぎ、今も間引き運転を行っているとのアナウンスだった。16:31浅虫温泉着。駅から旅館はすぐのようだが、電話をかけて迎えに来てもらう。そろそろ日没が近づき空を赤く染めている。寒さが夕日にますます凄みを与えているような印象だ。迎えの車に乗り込むと「電車動いているんですか」と訊かれた。運休ばかりでキャンセルした客も少なくないらしい。今夜は温泉旅館で骨休めをする。

2012年2月7日火曜日

北東北旅行記(2)

2日目 2012年2月3日 盛岡~大館

 早めに寝たこともあって6時前に目が覚めた。TVをつけてニュースを見ていると、今朝の盛岡の最低気温は-10.5℃だったという。生まれ育った湘南や、今暮らしている横浜では見たこともない数字で、寒さがどれくらいなのか想像もつかなくなってくる。朝食をいただいて早めの8:30にチェックアウト、寒いことは寒いが、快晴で風もないためそれほど寒く感じない。ひとまず今日の旅はIGRいわて銀河鉄道から始めるが、時間があるのでラッシュ終了直前のJRの様子を見に行く。
 県都盛岡とあって、列車が到着するたびに通勤客がドッと降りてくるが、どれも2両から4両の編成なので、すぐに人並みは尽きてしまう。乗客を降ろして一息入れている列車たちは、どれもこれも雪でびっしり覆われて、凄まじい形相になっている。正面はもちろん、床下機器や台車にも雪がへばりついていて、よくこんなになってまで走れるものだと感心した。もっとも耐寒・耐雪装備がしっかり備わった雪国仕様だからこそなのだろう。
 雪国を走るJR車輌たちを愛で慈しむと、改札を出てIGRいわて銀河鉄道の改札へ向かう。盛岡以北の東北本線は、新幹線の開業によって第三セクターに移管されていて、列車はもちろん改札までも分離してしまっている。新幹線改札とほぼ一体に見える華やかなJR改札を出て、駅ビル内を1階に下りる。駅ビルの店舗が開店前の時間帯だからだろうか、ひどく薄暗く感じる1階にIGRいわて銀河鉄道の改札があった。移管のあおりを受けたのが盛岡から北に21.3km離れた好摩から分岐するJR花輪線で、今はIGRいわて銀河鉄道のホームから発車する列車が大半になっていて、継子のようである。今日はこのJR花輪線で大館に出ることから旅が始まる。
 大館を6:36に出た1926Dが9:33到着する。この列車も例のごとく全身に雪をまとい、道中の雪深さを知らせていた。この列車が到着するともう一本JRのディーゼル列車が隣のホームに入り、こちらが9:46の大館行きになる。沿線に大学でもあるのか、二十歳ぐらいの男女と数十人と、近在のおじさんおばさん、そしてカメラをぶら下げた旅行者を乗せて、押しも押されぬ大幹線である東北本線(元)のしっかりした線路の上を、JRのディーゼルカーは快調に飛ばしていく。大学生と思しき男女と近在のおじさんおばさんも下車していき、やや閑散としてきたところで、10:12好摩着。
 ここからがJR花輪線になる。エンジンに身を震わせ、山越えして大館を目指す。好摩を出てすぐ、大更あたりから雪が降りだしてきた。岩手側は晴れているが秋田側は雪が続くとの天気予報だったが、少し早い気がする。さらに山間に入り松尾八幡平では本格的に雪になった。本来ここで上り列車と交換(行き違い)をするダイヤだが、ほとんど時間差無しで到着するはずの上り1928Dの姿が見えない。しばらくするとはるか先にヘッドライトが見え始め、雪まみれの1928Dが駅に近づいてきた。結局4分遅れの発車となった。JRになってから登場したキハ110は、国鉄型を大きく上回る高出力でぐんぐん山登りをしているが、さらにひどくなる雪に少し不安になってきた。横間あたりからは雪が強くなり、これから行く道すら雪に隠されるようになってきた。昨日のやまびこ号ほどではないが、雪を蹴散らしながら走っている。レールが見えなくなっきたため、こちらの不安感は増すが、運転士はひたすら前方を凝視し、駅が近づくと運転台横の時刻表に指を滑らせて到着時刻を確認する、いつもと変わらない運転をしているように見える。ただし松尾八幡平からの4分遅れを引きずっているだから、少しは違う部分もあるのだろう。
 県境を越え、4分遅れのまま十和田南着。ここでは建設時のルートの関係で、山登りとは無関係にスイッチバックする。時刻表では3~4分折り返し時間をとっているようだが、遅れを取り戻すためだろう、運転士と車掌が入れ替わるとすぐに発車した。このあたりから川沿いに走りながら、少しづつ標高が下がっているのが判るようになる。遅れを取り戻した1922Dは定刻12:33大館に到着した。雪はやんでいる。

2012年2月6日月曜日

北東北旅行記(1)

1日目 2012年2月2日 横浜~角館

 東京駅は日本の鉄道の中心である。利用客数こそ新宿駅に追い越されて久しいが、東海道・山陽新幹線と東北・上越新幹線のターミナルということもあって、遠距離客数では大きく上回っている。その新幹線だが、神奈川県に住むワタクシは、のぞみが登場して停車列車が増えてからは新横浜駅を、湘南新宿ラインの運転が増えてからは大宮駅を、それぞれ新幹線への乗り換えに利用している。東京駅の混雑を嫌ってのことで、これはJR東海が品川駅を開業させたようにJR自体も緩和したい考えがあるようだ。新横浜駅や大宮駅も混雑してはいるが、東京駅ほどごちゃごちゃはしていない。新幹線特急料金が僅かだが安くなることもあるが、湘南新宿ラインではグリーン車を利用することも多いので、むしろ旅費総額では高くなっていたりする。

 2012年2月2日、湘南新宿ラインから大宮で新幹線に乗り継ぐべく、横浜駅10番線の横須賀線ホームに立った。予定どうりの7:34発2620E高崎行きに久々の旅行でグリーン車を奮発したが、混雑路線のラッシュ時には着席はかなわなかった。通路に立つこと十数分、武蔵小杉で席が空いたとGAに案内されて二階席に腰を据えた。埼京線の混雑の影響を受けて大宮には3分遅れで到着。
 時間は充分に余裕を持っているので、ゆっくりと新幹線改札へ向かう。喫煙所でのんびり煙を吐きだし、ホームに上って駅弁を物色。9:06発やまびこ53号の列に並ぶ。東京の発車時刻もちょうど良く、昼までに盛岡に到着する列車なので込み合っているかと思ったが、指定席は半分も埋まっていない。16分後に東京を発車するはやて19号に仙台で追い抜かれるダイヤなので、利用客が移っているのだろう。さらに、はやてが停車しない宇都宮や郡山と福島でビジネス客が降りて車内は閑散としてきたが、こんな時間に駅弁をぱくつきビールを飲んでいる旅行者としては、むしろ空いているほうがありがたい。那須塩原を通過するころから、遠くの山に積雪があるのがはっきりと判るようになる。やがて近くの地面も白く覆われだし、トンネルを通過するごとに雪化粧が徐々に積雪になっていく。福島を発車した時点ではまだ青空が見えていたが、白石蔵王が近づくころから雪が降り出し、時折激しく降る雪と列車が巻き上げる雪とで車窓は真っ白になり、何も見えなくなった。
 早朝に小山で信号機故障があり、そのあおりで通過するはずの小山で一旦停止を行ったことから、仙台には3分ほどの遅れで到着した。この仙台ではやて19号と接続するため、はやて乗り換え客が下りていった。仙台は雪が降っている。気になるのはこの先の雪だ。例年にない豪雪で各地で被害が出ていて、出発前日の昨夜は、青森県の国道で100台以上の車が雪で立ち往生しているというニュースがあり、今回はこの国道と並行して走る大湊線や、帰路にはここ数日間運休がつづいている寝台特急あけぼの号を旅程に組んでいる。ある程度余裕を持って計画を立てているが、この先臨機応変が必要になるかもしれない。この先盛岡まで各駅に停車するやまびこ53号は、盛岡まで無停車のはやて19号からの乗り継ぎ客を乗せて発車した。雪は小降りになり、くりこま高原ではふたたび青空が見えるようになったが、積雪はさらに深くなっていて、田畑のあぜ道がどこにあるのかすら判らなくなってきた。時刻どおりに快晴の盛岡に到着。

 空腹を感じなかったので、着替えなどが入ったバッグをコインロッカーに詰めて、こまち号の特急券を買いなおし、再び新幹線ホームに上った。寒いことは寒いが、晴れ渡った冬空のおかげで、寒さを辛く感じない。3021Mこまち21号は17分遅れで盛岡を発車した。雪の影響だそうだが、盛岡着が定時だったワタクシにはやや納得がいかない。わざわざ盛岡で特急券を買いなおした理由だが、秋田新幹線と名前はついているものの実質在来線特急である盛岡・秋田間のこまち号には、特定特急券で乗車できる。この区間は全席指定でも、特定特急券でグリーン車以外の空席に座ることが出来るのだ。要は自由席特急券として扱い、指定席特急券との差額500円分安く乗れることになっている。
 在来線特急になったこまち号は雪深い田沢湖線をゆっくり走る。物珍しさでずっと車窓を眺めていたが、まぶしさでだんだん目が痛くなってくる。単線運転も関係しているのかあまりダイヤは回復せず、15分近く遅れて角館に到着。少しは観光らしいこともしておこうと、武家屋敷を眺めることにしている。あまりに雪がひどいようだったら取りやめることも考えていた行程だったが、幸いにも晴れているので駅前の案内所で地図を貰い、雪を踏んで歩き出した。

 東北の小京都とも言われる角館の武家屋敷街は、雪に埋もれながらも凛とした端正なたたずまいを見せていた。新緑の季節にも紅葉の季節にも、また違った美しさを見せるであろう町並みに感嘆し、シャッターを切りながら歩き続け、ほぼ行き終わったかなと思ったところで屋敷を外から眺めていると、どうぞ中も御覧くださいと声をかけられた。偶然にも現存する最古の屋敷である石黒家で、その造りと歴史、武家の有り様に感心しながら展示を一つ一つ見ていった。礼を言って帰ろうとすると、雪のない季節にまたどうぞといわれる。1時間少々の滞在では失礼なほどの町で、本心からまた来ようと思った。
 来た道をまた歩いて駅に戻る。光の向きが逆になって、また違った見え方をしている。再びシャッターを切りながら歩いて、15時前に角館駅に戻る。田沢湖線の遅れはまだ回復していない。15:17発の普通840Mは9分遅れで発車し、そのまま遅れを引きずって盛岡に到着した。今夜の宿は駅からすぐのビジネスホテルを予約している。部屋で荷物を整理し、駅地下で晩酌と夕食を済ませ、早めに寝た。