2009年10月7日水曜日

ゲージの話を幅広く

 鉄道に興味を持ち始めると最初に車両に目が行き、続いて線路のレールの幅(軌間:ゲージ)の知識を持つ方が多いのではないでしょうか。

現在日本で使われている主なゲージは次のとおりです。
1435mm(国際標準軌) 新幹線、京急、京成、阪神、阪急、京阪、近鉄の一部
1372mm 京王、都電、都営新宿線、函館市電
1067mm JR(国鉄)在来線ほか多くの私鉄
762mm 軽便鉄道に多用。黒部峡谷鉄道、三岐鉄道の一部

 半端な数字のようですが、これは順番に4ft(フィート)8inch(インチ)1/2、4ft6inch、3ft6inch、2ft6inchです。12インチが1フィートですので、標準軌以外は4ft1/2、3ft1/2、2ft1/2とあらわせます。

 さて、国際標準軌が何故この幅かという説明の一つに、二人並んで座る馬車の幅が元だという説があります。現在の通勤電車の一人当たりの幅が460~480mmですが、これはくつろげるサイズではありません。一人当たり60cmもあればだいぶゆったりしてきますので、車輪の間に座席二列を設置する前提で、車輪や客室(キャビン)の揺れなども考えれば、車輪の幅は140cmぐらいに落ち着いてきます。
 車軸の交換の便宜なども考えると、デファクトスタンダードになっていったのでしょう。荷車にも採用されていったのだと思われます。工業が発展してくると、例えば鉱山で荷物を運ぶ需要が出てきます。街道のように石畳を整備するのも面倒なので、板敷きで通路を確保します。踏み外すと面倒なので外れない工夫がされていき、L字のガイド型に作って外れないようにしたり、あるいは車輪にフランジ(つば)をつけるようになります。溝の中を走らせても良いようですが、溝が詰まると面倒です。こうして今の鉄道のレールと車輪の形態に近づいていくのです。
 さらに産業が発展し、ついに鉄道の動力が人力や畜力(牛馬)から機械動力に進化します。蒸気機関車が誕生します。動力が進化しても引っ張る車両は変わりませんから、レールの幅も同じまま鉄道が進化していくのです。

 さて、1372mmというゲージが都電と、京王本線、都営地下鉄新宿線、函館市電で使われています。これはもともと東京馬車鉄道という私鉄のゲージです。何せ馬ですから落し物の問題もあって電化されましたが、線路は引きなおさなかったので、そのまま都電へ引き継がれていきます。
 日本の鉄道の大半が国鉄(JR)と同じ幅なのは、貨物を直通させる狙いからきています。ほかにも中古の車両を使うためであるとかの理由もありますが、お客さんと違って貨物には乗り換えてもらえません。逆に直通や共用を目的にしない鉄道は別のゲージでも構わないことになります。したがって市内や近郊の短距離移動の鉄道は関西を中心に標準軌を採用する傾向が出てきました。
 さて、東京近郊の場合、今の地下鉄直通に似た発想で都電(当時は東京市電)に乗り入れを考える鉄道がありました。京王、京成、京急(当時京浜)がそうです。京急は標準軌で創業しながら、乗り入れのために改軌を実施し、連結運転や高速運転を始めるようになると再び標準軌に戻すという面倒なことをしています。京成も都営地下鉄浅草線を介した京急との三者相互乗り入れのために、標準軌へ改軌しています。京王はそのまま歴史を積み重ねましたが、都営地下鉄新宿線と相互乗り入れを開始することになります。このとき浅草線とゲージが異なることを気にした東京都が改軌を提案したところ、『もともとアンタのところに合わせたんだ!』と言い返されたという噂があります^^;。さらに都営三田線は東武との直通を念頭においていたので1067mmで開業し、都営地下鉄は三種類のゲージで運転されることになったのです。

 相互乗り入れですが、ゲージが合えば良いわけではありません。車両のサイズや、信号、無線などの保安設備、そして電車なら電気方式の問題があります。新幹線は交流2万5千ボルトですが、東海道山陽新幹線は西日本の周波数で、東北上越系統の新幹線は東日本の周波数です。東京駅で線路が繋がっていないのは、こんな理由もあるのです。

2009年9月15日火曜日

ヘンな鉄道(客車編、その一)

 少しずつ涼しくなってきました。鉄道の冷房も随分進みましたが、過去には「暖房車」が
ありました。暖房がついている車輌ではありません。暖房するための車輌です。

 もともと機関車に引っ張られる座席のついた車輌に過ぎなかった客車ですが、照明がつき、
トイレがつき、暖房がつくなど進化していったのです。
 電車の場合は最初から電気ストーブのような形で暖房を設置しましたが、客車には色々な
暖房方式が試されました。今では観光資源にもなった津軽鉄道のようにストーブを設置したり、
廃止された羽後交通のように火鉢を乗せたり。最も簡単ですが車輌が増えてくると管理が
大変です。そこで、蒸気機関車から蒸気をちょっとだけ分けてもらうことにしました。
 蒸気(スチーム)暖房の登場です。必要なものは蒸気パイプと放熱器と水抜きバルブぐらいで、
蒸気機関車を管理できるのなら技術的な問題もありませんから、急速に普及しました。

 ただし、ローカル線には混合列車(ミキスト:mixedの転訛?)といって、客車と貨車が一つの
列車として運転されることがありました。機関車-客車-貨車の順なら良いのですが、機関車-
貨車-客車では蒸気が送られないので、ストーブを乗せたりお客に我慢(!)してもらうことも
あったようです。

 一気に標準となった蒸気暖房ですが、電気機関車やディーゼル機関車で運転を始めると、
暖房方式をどうすればよいのかが問題になりました。ディーゼルカーではラジエーターの
冷却水から熱を採って暖房する方式がありますが、機関車では無理です。仕方がないので
暖房用のボイラーを積んだ客車(見た目はほとんど貨車)を作ることにしました。これが
暖房車です。

 手っ取り早いのは確かですが、冬にだけ列車全体が長く重くなるわ、人件費はかかるわ、
オフシーズンは邪魔だわで、けっこう厄介です。仕方がないので旅客用機関車に暖房用
ボイラーを乗せることにしました。SG搭載機といわれるのがそうです。
 その後、電気機関車から暖房用電源を送電する方式に移行し、客車には蒸気・電気両方を
搭載する改造が行われました。混合列車も減っていき、暖房車は消滅したのです。

2009年8月28日金曜日

トラブル回避と寄り道

 ぐっすり眠った翌朝、朝風呂と朝食を頂いて9時半にチェックアウト。
 曇り空ですが爽快な気分で磐梯熱海駅へ向かいます。なにやらスピーカーを通して、
声が聞こえます。そういえば投票日も近いし選挙カーかな?いや、違う。

「川桁駅で発生しました信号機トラブルにより、ただいま運転を見合わせております」
 ワチャー
「猪苗代、若松方面へはバス輸送の手配を取っております」
 うわぁ

 昨日宿を案内してくれた駅員さんが必死で放送と誘導を行っています。お礼を言いた
かったのですが、それどころではありません。時刻表では9:59に郡山行きと会津若松
行きがすれ違いで発車します。基本プランとしては
 1.会津若松から会津鉄道、野岩鉄道、東武鉄道を経由して栗橋からJRに戻って帰宅
 2.1が無理なら会津若松観光、折り返して郡山経由で帰宅(新幹線利用もアリ)
 3.郡山から東北本線で帰宅。途中下車アリ
バス代行、それも緊急対応となるとなおさら時間が読めません。プラン3を行動の中心に
変更しました。8:46に磐梯熱海を出た喜多方行き快速が川桁の手前から折り返してきて、
猪苗代方面の乗客をバスに誘導し、この列車をそのまま臨時郡山行きに充てるようです。

 とにかく郡山へ行くことにします。ガラガラの臨時郡山行きに陣取りました。運転指令との
やり取りが聴けるように最後尾の乗務員室直近です。
「郡山からの電車が到着次第、発車しま~~す!」
 え?出したの?時刻表をめくると、本来私が乗りたかった会津若松行きです。磐梯熱海から
バス代行が決定したので、そのまま出したのでしょう。当初は10:40ごろとアナウンスしていた
臨時郡山行きは数分遅れ(?)で発車しました。郡山までは15~20分ですから11:19に郡山を
発車する黒磯行きに乗れそうです。

 11時過ぎに郡山着、すぐに黒磯行きに乗り換えます。まだ空席が残っていましたが、11:15
着の福島発の列車からの乗り継ぎが多く、立ち客も随分出ました。東北本線とは言っても、
2両編成のワンマン運転です。それなりの規模のある地方都市で、1時間に一本程度のそれも
等間隔でない列車ダイヤでこれでは、合理化もやりすぎではないでしょうか。もっとも
予想通り20分ほど走った矢吹までに立ち客は解消されましたが。

 列車は快調に白河の関を越えて12:21黒磯着、14分の待ち合わせで宇都宮行きが発車するので、
タバコを吸って食料を買い込みます。もしかしたらとも思いましたが、駅弁はありません。
結局おにぎり2個とペットボトルのお茶になりました。
 もうこの先、帰路にJRの未乗区間はありませんが、このまま帰宅するのも業腹です。私の
大好きな国鉄型ディーゼルカーに乗らずに帰るのは面白くありません。そこで宝積寺から烏山線に
立ち寄ることにしました。13:14宝積寺着。13:36発の烏山行きがありますが、時刻表では
13:20着の列車がそのまま折り返すようです。少し明るく、そして暑くなってきたホームの
ベンチで、夕方のラッシュ時まで昼寝をむさぼるディーゼルカーを眺めながら、おにぎりの
ビニールをはがすのでした。

 国鉄制式エンジンは載せ換えられましたが、車輌重量の関係もあるのか、独特の重みのある
エンジン音とともに烏山線のディーゼルカーが入ってきました。烏山線はここ起点駅の
「宝積寺」と途中駅に「大金」があり、昔から縁起を担いだ切符が販売されたりしていました。
車輌も縁起を担いで七福神をあしらっています。


 13:36定刻発車。一輌運転のワンマン列車です。以前に乗った印象が薄れていて、こんなにアップ
ダウンが激しい路線だったのかと戸惑いました。田を掻きわけ丘を越え川を渡り、14:10烏山着。
 前に来たときは「東力士」の島崎酒造まで出かけたなぁ~などと思い出しつつ、駅でぼんやり
過ごしました。



 14:45烏山発。また来た道を折り返すのが退屈な人もいますが、私の場合は逆の窓側に座るので、
ほとんど退屈しません。ただこの時期、日差しの向きによっては忍耐が必要になります。ちょっと
日が傾いてきた15:26宝積寺着。ラッシュ時に備えた増結作業を眺めて、15:34宇都宮行きに乗車、
15:46宇都宮着。

 餃子の駅弁はなくなりましたが、駅弁発祥の地と言われる宇都宮で「とりめし」を購入。ここからは
グリーン車で帰宅します。駅弁を買う機会も減りましたが、駅弁が食べやすい環境も減りました。

 宇都宮15:59発の列車は上野行き、湘南新宿ライン列車は小金井で乗り継ぐことになります。
この旅で最初で最後、列車の中で駅弁とビールを味わいながら、夕暮れの風景を眺めながら、
また日常へと戻っていくのです。

 「・・・洗濯は明日でいいや・・・」

2009年8月27日木曜日

パラダイス(いろんな意味で)

 さて旅行を存分に楽しみましたが、そろそろ宿を決めなければなりません。一計を案じ
磐越西線のあかべぇ電車に乗ってみます。目指すは15kmほど離れた温泉地「磐梯熱海」。
16:57分磐梯熱海駅着。おあつらえ向きに「駅事務所で宿泊ご案内します」とあります。

 ネットや電話での予約ももちろんしますが、今回の場合いわきでの宿泊も考えていたので、
ほとんど飛び込みの形になりました。気ままな一人旅にも限度はありますが、よく使う方法です。
駅やバス・タクシーの営業所、観光協会や旅館組合の案内所は観光客への顔で、地元業者とは
持ちつ持たれつなので、顔を潰したりするようなことはまずありません。

 降車客を見送ってから、出改札の駅員さんにお願いしてみます。
「今から宿をお願いできますでしょうか」
「ちょっとまってくださいね(何だコイツ胡散臭い・・・)予算はどれくらい?」
「お酒も少々いただいて、ぬ万え千円ぐらいで済むといいのですが・・・?」
 急に活き活きと電話をかける駅員さん。そんなに貧相に見えましたか?それなりに温泉旅館を
楽しむにはこれぐらい見ておいたほうが良いと、思っただけですが・・・。
「磐梯熱海駅デスお世話になってます。今からお一人、ウンウン、ぬ万う千円ネ」
「それでお願いします」


磐梯熱海駅



 私も接客販売が長いのでよくわかります。こんな上客逃すものかという勢い。観光地の駅は
それほど儲かりません。大体のお客はあらかじめ切符を買ってくるからです。帰りに新幹線などの
特急券を売るのが精一杯なのです。それでも観光地の顔として地元と観光客に喜んでもらおうとする
喜びが奮い立たせるのです。私の身なりが貧相なだけで、実に立派な駅員さんです。

 話がまとまると駅員さんは窓口を出て案内してくれました。駅からはっきり見えます。
 栄楽館 http://www.eirakukan.jp/
予備知識無しで来ましたが、『おもてなし』に独特のやり方で力を注いでいるようです。
「これは生半可ではない」去年の冬に泊まった
雲仙観光ホテルhttp://www.unzenkankohotel.com/
のような歴史の重みはありませんが、もてなす心では負けていないでしょう。

 なにはさておき温泉です。早速着替えて・・・えーと、窓を開けると正面にはまさに山紫水明。
下には・・・磐越西線!うぬぅ(知人に、プロのお勧めだけのことはあると言われました)。

 風呂~~メシ~~。そして、時刻表を確認してまたお風呂~~
7階の露天風呂から磐梯熱海駅が見えます。鉄道旅行中ですから、鉄道に生活を制限されるのですが、
まさか風呂までとはwwwwよもや全裸で電車を見送ることになろうとはwwwwぱらだいす~!

美女と鉄オタ

 9:09上菅谷到着。このまま乗り続けても良いのですが、途中下車しました。
ホームからはニコンの生産子会社、水戸ニコンプレシジョンが見えます。が、
これは今回の旅とは関係ありません。ひとつは20分後に支線の常陸太田発の
水戸行きがあること、さらにその後に水戸発常陸太田行きの列車があり、これで
常陸太田まで往復しても、今後のスケジュールには支障をきたさないのです。

 9:23常陸太田行き到着。ホームに向かうとおばちゃんが「これどこ行くの?」と訊ねてきます。
「どこ行くの?これは大田だよ?水戸だったらあっち」

地元民が旅行者に聞くなwwwわかりにくいんですけどね。

 常陸太田までの支線を往復してくると、こんな光景になります。左から、常陸太田-上菅谷
往復列車、常陸大子行き、水戸行き。ワカランでしょう。
 10:56水戸着。お昼を買って常磐線下り列車に乗ります。一本あとの水戸始発いわき行きでも
良いのですが、最近は常磐線もロングシートが増えてきたので、乗車しながら、駅弁を楽しみ
ながらの旅がやりにくくなっているのです。いっそこの列車の終点の高萩まで行って、本来
乗るべき列車を待ちなが昼食にしようと思ったのです。
 インバータを乗せ換えた501系電車は快調に走り続けます。ん?なんかかゆい。
どうして真昼間に、電車の中で蚊に刺されますか!?爪で×印をつけながら11:56高萩着。

 ビクッ!12時の工場のサイレンが鳴りました。廃車回送された京浜東北線209系電車を眺めながら、
水戸駅で買った「とんちゃん」を味わったり、インバータを乗せ換えていない501系の走行音を聞いたり、
午餐のひと時を送りました。

 12:09いわき(旧:平)行き発車。勿来の関を越えて再び福島県に入りました。13:05いわき着。
8分の待ち合わせで磐越東線郡山行きが発車します。
 絶景とまではいえないものの、紅葉の時期にはさぞ美しかろうという山中へ分け入り、13:56
小野新町到着。このまま乗り続けても良いのですが、15:28にも折り返し郡山行きがあります。
ここまで順調に来たので、ぶらり途中下車の旅をして見ましょう。


 数人が降りましたが私が駅周辺をふらついている間に消え去り、タクシーも暇そうです。
この侘びしさは暑さだけのせいではありますまい。駅前の案内看板を眺めてみましょう。
 ・・・小野小町生誕の地?リカちゃんキャッスル?
やっぱり下調べをしておいた方が良かったのでしょうか?いい年こいた鉄オタ男性が一人、
リカちゃんキャッスルを見学する姿は、我ながら鳥肌が立ちますので止めておいて、
小野小町生誕の地へ行ってみましょう。



 ・・・なんかこう、もう少し盛り上げているのかと思いきや、質素です。これで町おこしだ!ドーン!を、
やってあきらめたのか、元からやらなくてもいいと考えたのか、夏の日を一杯に浴び碑は佇んでいました。 

 リカちゃんキャッスル
 
http://www.liccacastle.co.jp/



 小野新町駅を発車したいわき行き

 15:28発の折り返し郡山行きの乗客は私のほかに一人でした。それでも下校する高校生が増え始め、
立ち客が目立ち始めた16:19郡山着。10時間あまりで一周してきました。

 コインロッカーから荷物を取り出して、「今夜はどこに泊まろうか」・・・・・・えっ?!

水郡線~目の覚める濃緑

 夜行バスの車内は、ほのかに足元灯が光る以外は真っ暗です。カーテンの隙間から洩れる
道路灯の明かりもだんだん少なくなり、半睡の脳では快調なエンジン音以外を感じなくなりました。
これでは周りの人の迷惑になるので、身動きできません。どこだか確かめられませんでしたが、
20分ほどの休憩と1時間ほどの休憩が、それぞれ一回ありました。休憩と断じるのは間違っている
かも知れません。約1時間の停車は4:00過ぎまで続きましたから、郡山駅到着への時間調整だとも
考えられます。寝たり起きたりを繰り返して4:47分郡山駅到着。朝の冷気が目を覚ませてくれました。


早朝の郡山駅



 郡山駅には夕方に戻ってくる予定ですので、着替えなどをコインロッカーに預け、駅前のコンビニで
朝食を買ってから、5時半に改札口を通過しました。いよいよ2日に渡る鉄道旅行のスタートです。



 水郡線の主となったキハE130型はすでにアイドリングを開始して、乗客を待っていました。
いつもお世話になっている東海道線や横須賀線のE127系やE231に乗っているような錯覚を覚えますが、
ローカル線に古びた車輌を求めるのは、身勝手かもしれません。
 ホームのベンチで朝食のサンドイッチを食べていると、各線の始発列車が並びだしました。


磐越西線始発の会津若松行き(左)と、東北本線始発の福島行き


 あかべこをモチーフにしたマスコット「あかべぇ」の電車は、夕方にお世話になります。

 水郡線620D列車は6:06定刻どおり郡山駅を発車。なんなんですかこの加速度は!加速Gで
体が傾くのがはっきりわかります。地元京急の800型電車に乗っているような気分です。
安積永盛まで線形の良い東北本線をぶっ飛ばし、いよいよ水郡線へはいります。水戸と郡山を
結ぶので、水郡(すいぐん)線ですが、正式には水戸~安積永盛が水郡線です。

 濃密な緑。森と少し黄色味を帯びてきた水田の中を強力な新鋭気動車は軽やかに走ります。
夏休みが終わった学校があるのか、学生の乗降を何度も眺め、福島茨城県境の渓谷美を眺めて、
緑の濃さに圧倒されました。


 7:58常陸大子着。水郡線の主要駅の一つとして車輌基地と美しい風景に囲まれた駅です。


 計画では、ここで途中下車して一本遅らせても構わないことになっています。一時間半を有効利用できる
自信はありますが、12分間で気分転換できたので、そのまま乗り続けることにしました。
 水戸に近づくにつれ、水戸の生活圏に入ってきたのでしょう。立客が出るほど混雑し始めたところで、
9:09上菅谷に到着しました。水戸~上菅谷~常陸太田は既に乗車済みですので、これで水郡線完乗です。

2009年8月26日水曜日

お得ゆえの強行軍

 以前から人気商品だったJR東日本のツーデーパスに今年、私鉄三セク五線、東京湾フェリーと
フェリー港へのバスまで、フリー区間に含まれるようになりました。そして夏休み期間中は、
土日に限らず平日も使用可能。これを活用してどこに行こうかと色々考えました。
 JR東日本 ツーデーパスの紹介ページ
 http://www.jreast.co.jp/tickets/info.aspx?mode=top&GoodsCd=1470

 一番遠いのは福島県のいわきと郡山を結ぶ磐越東線。この線はまだ乗っていませんし、
郡山に行くのなら、福島県側が未乗の水郡線にも乗ってみたい。ツーデーパスなら可能ですが、
横浜市内の我が家からの往復に新幹線や特急を使っても、二日で両方乗るのが精一杯です。

 郡山から水郡線の始発に乗ると、水戸といわきを経由して9時間弱で一周して郡山に戻れることは
わかっています。前日に郡山に泊まっても良いのですが、郡山まで半日必要になるのが不満です。

 距離が近いので、まさかあるとは思っていませんでした。横浜・東京から郡山・福島行きの
夜行高速バスが出ています。郡山着は早朝(未明)4:50なので、6:06発の水郡線始発に余裕を
持って乗ることが出来ます。早速ファミリーマートで乗車券を購入してきました。
(便利になったものだ)

 自宅で夕食と入浴を済ませて家を出ます。発車の1時間ほど前に横浜駅東口バスターミナルに
到着。乗り場を確かめてから夜食を買うために一旦離れて、20分前に改めて乗り場へ向かいます。

 程なくツバメのマークのJRバスが到着・・・え?ダブルデッカー(二階建て)?そんなはずは・・・

西日本JRバスの臨時大阪便でした。さらに岩手県交通の盛岡便まで到着して時ならぬラッシュ。

私の乗るJRバス東北の郡山・福島便ははずれの方に停まる羽目になりました。


 到着が遅れましたが、乗客が5人なので発車に影響は無く定刻発車。すでにカーテンは全部閉められ、
照明も減光してあります。夜間とはいえ、時にはどこを走っているか見てみたくなるものですが、
三列シートの中間ではままなりません。それでも隣が空席なのをいいことに、手を伸ばしてカーテンを
めくってみました。横羽線をゆっくり走って東京駅に向かいます。

 発車23:59の2分ほど前に東京駅着。10人ほど乗り込んできてちょうど発車時刻と思いきや、
「一人遅れて来ますので、待ちます」
「・・・」
 結局15分ほど遅れての発車。すぐに照明が消されて、真っ暗になった車内で考えます。

 ・・・このぐらいの遅れで影響が出るようなダイヤは組んでいない。横浜~福島がダイヤ上でおよそ
7時間だから、運転士の勤務時間は8時間を少し過ぎるくらい。そういえば途中で乗務員の休憩のため、
停車するって言っていたな。お客は外に出られないけど。トイレがあるのはそのためか。きっと、
トイレ休憩で乗り遅れがあったのだろうな。閉じ込められてる気分になってき・・・ZZZZzzz

2009年8月23日日曜日

ヘンな鉄道(駅、その一)

 今年開業120年を迎えた横須賀線。歴史の長さが関係あるのか、ちょっと変わった駅があります。
有名なのが『階段が無い』横須賀駅。『改札口までホームが300m』北鎌倉駅。そして、今回
紹介する『トンネルに挟まれた』田浦駅。軍港横須賀の北の玄関口として作られました。今も
自衛隊横須賀病院の最寄り駅で、自衛隊や米軍の施設が多くあり、少し離れた京浜急行安針塚駅も
「軍需部前」という露骨な駅名で開業しています。

 昔は列車編成が短かったのですが、需要にこたえるために輌数を増やしホームも伸ばしているうちに、
トンネルにぶつかりました。トンネルの口と口の距離、百九十数メートル。
11両編成の電車は1輌目全部と2輌目の一部をトンネルに突っ込んで停車します。



 横須賀線を走る10両編成以上の列車は、トンネル内の車輌のドアを閉めたまま、ほかのドアの開閉をする
切り替えスイッチ(通称:田浦スイッチ)を装備しています。ほかの駅で誤作動して大騒ぎになった
現場に出くわしたことも、いい思い出(!?)です。

2009年8月22日土曜日

ヘンな鉄道(蒸気機関車編)

 自動車はハイブリッドや電気自動車が、本格的な普及段階に入ってきつつあります。
電化されている鉄道でもさらに省電力への挑戦が続き、非電化路線ではJR東日本が
ディーゼル電気ハイブリッド車輌(キハE200型)の投入が始まっています。

 日本ではというより、世界でも観光用以外ほとんど使われなくなった蒸気機関車ですが、
鉄道黎明期から発展を支えていただけに、各種の改良とともに珍車が誕生しています。

 石炭を燃やして煙をもくもくと言うイメージですが、蒸気が十分確保できれば、燃料は
何でもいいわけです。で、よくある例がオイル焚き。もっぱら重油を使用します。
国鉄の場合、石炭だけでは火力(=出力)が確保できないときに、重油も燃やす重油併燃が
採用されていました。
 森林鉄道では薪、製糖工場の専用線ではサトウキビの搾りカスが使われていた例があります。

 蒸気機関車は蒸気の圧力でピストンを動かし、車輪の回転運動に変換して走ります。
必要な圧力を持った気体なら動く!というわけで、圧縮空気を詰め込んで走る、
無火機関車が登場します。炭鉱や化学工場など火気厳禁な場所で使われました。
さらに化学反応で圧力気体を発生するものまで登場しました。
 蒸気が発生するのなら原子炉でもいいんじゃね?というアイデアもありましたが、
実例はありません。

 実在した中で、極め付きの珍車がスイス国鉄(SBB)E3/3型でしょう。簡単に言うと、
電気湯沸し式蒸気機関車です。御用とお急ぎで無い方は画像検索してください。
第二次世界大戦中の石炭入手難に対応するために作られたといわれています。
スイスは土地柄、水力発電が中心なので、こういう発想が出来たのだと思います。

2009年7月19日日曜日

こんなOEM

 一時期フィルムパトローネの収集をしていました。職場の廃棄物を漁るだけでいくらでも
入手できたのは良いのですが、重いわ嵩張るわ仕舞いに錆びるわで、大半を処分しました。

 その中で残った一つがこれです。

 韓国最大の企業グループ『現代』がコニカからOEM供給を受けて販売していたものと思われます。
最近の英語表記は「HYUNDAI」ですが、現地の発音に近い「HYONDAE」を採っています。

 DXへのコマナンバー追加規格表記が「N」であることから「F」表記のフジではなく、またプロセスが
「CNK-4 or C-41」とコニカ処理+コダック処理の表記なので、ほぼ間違いなくコニカ製だと判断しました。

 こんなものでも収集すると楽しい…のは私だけかもしれません。

2009年7月17日金曜日

早すぎた製品化

 学生時代のバイト先の社員から貰ったもの。社員旅行のゲームだか福引だかの景品で、使わないから鉄道好きの布袋君に上げようと言うので、戴いてまいりました。






『東京電車博士 ちかてるくん』:オリエント時計株式会社




 ポケコンのような見た目。電卓機能(説明書では計算機機能)と、メモ機能を持っていますが、売りはなんと言っても東京の地下鉄ほかJR、接続私鉄のルート検索機能です!!
 ナビ機能と名前は変わりましたが、この重宝な機能の起源とも言えるマシンです。 電源を入れてみましょう。

え~なになに

『ココハ ナニエキテ゛スカ?』


 説明書の製品仕様によると

 1 回 路 素 子 : 8ビット CMOS CPU 

 2 記 憶 素 子 : 256K ROM 1個 64K RAM 1個使用

 3 表 示 素 子 : LCD 16文字×2行

…以下略…

・・・・( ゚д゚)ポカーン
1988年ごろの製品だとわかっています。持ち歩けるサイズと重さで努力したのだと思います。

 さて、このマシンの最大の問題は、路線の延長などの変更があった場合、データを変更する手段が無いということです。Niftyのサービスは開始されていましたが、製品価格のアップといつまで続くかわからない情報提供を嫌ったのでしょうか、アップデートサービスもなくこのマシンは販売されました。標準小売価格¥13,800で。
 社会全体の技術が発想を合格点に達成させるほど成熟していなかったのが悔やまれます。オリエント時計株式会社コンセプト商品事業室はそれに気がつかなかったのでしょうか
 よっぽど売れなかったのか、いくら検索してもこの商品に関する情報がヒットしませんでした。まさに幻のモバイルマシンとなりそうです。

2009年6月13日土曜日

ロングセラーストラクチャー

Tomixのストラクチャー「商店セット」を買ってきました。


 30年ぐらいのロングセラー商品だったと思います。看板用のステッカーはリニューアルされているようですが、玩具臭が強く、このままレイアウトには置けません。幸い分解が容易なので塗装と小加工を試みてみましょう。


 ネジ一本で瓦屋根と商店部分の着色プラが外れ、窓を表現しているプラもすんなり外れます。
とりあえずプラの凹凸だけの窓ガラスに塗装をして、アルミサッシを表現してみました。

左から未塗装、凸部への色差し状態。追加塗装状態


 最初に凸部分だけにタミヤエナメルのクロームシルバーを筆塗りしたのですが、ムラがあるように見えます。どうやら凸部分の外側ふちの部分も塗装しないといけないようです。

 外壁と屋根の塗装はまた後日。

ストラクチャーの配置を考える・・・その前に

 ストラクチャーはレイアウト上の建築物を指す言葉です。地形や自然物はシーナリーと覚えておけばまあまあ間違いではないでしょう。レイアウトはまず線路配置を決定し、建造物や地形を決定していく実物と真反対で制作されますので、この判断を誤ると不自然なものになりがちです。
 日本型を1/150で制作するのに9mmゲージという時点で不自然だとも言えるわけで、上手に誤魔化すのが得策でしょう(国鉄~JRや多くの私鉄が採用している1067mmは7.113mmで再現しなければならなくなり、26%以上広いゲージは違和感があります)。

 ストラクチャーの周囲には道路があります。巻尺をもって実測に出かけても良いのですが、そんな長いものは持っていません。そこで国土交通省道路局から道路構造令を参考にしてみました。
 交通量を基準に規格の上下はありますが車線幅は2.75~3.5m、路肩が左側0.5~2.5m、右側0.5~1.25mでした。さらに歩道が2m以上~特に歩行者が多い場合は3.5m以上。・・・でかっ!!片側1車線の市道県道クラスをパイクに設置すると、道路だけでスペースが埋まってしまいますwwwww orz
 自動車普及以前からの道路も数多くあるので、レイアウトのすべての道路をこれに従わせる必要はありませんが、頭が痛くなってきました。とりあえずチラシから3cmぐらいの紙帯を作って、配置を検討してみます。

国土交通省道路局道路構造令http://www.mlit.go.jp/road/sign/kijyun/kozou/ss-kozou-index.html
国土交通省道路局道路構造令5条(車線等)http://www.mlit.go.jp/road/sign/kijyun/kozou/ss-kozou.html#kozo05

2009年6月11日木曜日

趣味多忙につき

いろいろやりたいことがあるというのは前向きでよろしいのですが、行ける目処がないので去年の写真で誤魔化すと言うのは、ブログとしてどうなんでしょう。


単一のテーマに絞るのか、生活を縷々見せていくのか考え方はいろいろですね。
横須賀しょうぶ園
http://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/iris/

さて、今年はいけますやらw

パイク制作その2

某所で自己紹介したところ、読者の方が増えまして大変嬉しく思っています。
ピンポイントですが読者サービス(?)


『富士重工製二軸レールバス(LE-Car) 有田鉄道ハイモ180(元樽見鉄道ハイモ180)』



こういうことは励みになるもので、いろいろと用品も買い込んでゆっくりですが進行しています。
5月31日の写真に写っている看板建築の商店に色差しをしました。

トイレの臭気抜きに緑、電気メーターにグレー、牛乳箱とポストに白(この上から赤を塗ります)など。

買出しついでに衝動買い

『京福電鉄モボ621型』


パイクを走行することは出来ますが、カーブ抵抗が強すぎて苦しい走りでした。

我ながらあきれるスローな制作ペースですが、今後もお付き合いください。

2009年5月31日日曜日

パイク制作その1

 去年の11月に100円ショップでA4サイズコルクボードを発見したのがそもそもの始まり。これにパイク(小型レイアウト)を作ってみようと、コルクシートを貼り重ね、レールを敷き、レール塗装まで進んだところで放置されてしまいました。

 今月に入ってちまちま再開し、ストラクチャーの組み立てや塗装が少しづつ進んできました。


大きさがわかりやすいように新聞紙の上で俯瞰撮影


 PECOのフレキと中型ポイントで最小カーブはR90(ミリ)。走行できる車輌が制限されるのは承知の上です。
 手持ち車輌で走行できたのは、KATO広島電鉄200型(ハノーバー電車)、同じ2軸動力を用いたBトレインショーティー。Tomix樽見(有田)鉄道ハイモ180型、そして、鉄道コレクション12m型電車。

なんと、新疆カプラーとKATOアメリカ型ナックルの組み合わせで連結運転も出来ました

鉄道コレクション15m型電車は、カーブで脱線しますが乗せてみました。


嗚呼誰もが陥る、走っている姿で満足してしまう症状が・・・

2009年5月28日木曜日

写真感材発達史

デジタルカメラが圧倒的な勢力になりました。自分でもまとめておかないと忘れてしまいそうなので、
少しづつアップしてみます。

「カラー写真の発達概要」

印画への手着色
 白黒の画像へ絵の具を用いて手作業により着色する手法。 
日本では、横浜在住の外国人が記念に買い求めたものが世界に流通したことから、
一部は「横浜写真」と称されている。

原始的なカラー撮影(注:カラープリントを得るのは別の技術)
 三色カメラ(1900年前後)
  三色分解露光を手早く行えるように作られた乾板とカメラの統合システム。
   ※動体の撮影は構造上不可能
 レンチキュラーカラー写真(独Agfa、米Kodakほか)
  撮影レンズに三色の縞状フィルターを取り付け、フィルムに密着したレンチキュラーレンズによる
  微細な縞状の分解露光を与える方式。
   ※撮影と映写に専用フィルター必須
 着色粒子スクリーン法(1907年仏Lumiereほか)
  着色粒子によるモザイク状カラーフィルターを乳剤に設け、撮影と鑑賞を行う。

現像システムと統合したカラー撮影方法の進展(撮影において特別な機材を要しない) 
 感材メーカーが現像所を設置することで、普及に成功。ただし、一国でも多くて数箇所の
 設置にとどまることが多く、仕上がり時間の問題もあり、本格的な普及は1950年代から。

 コダクローム(外式カラーリバーサルフィルム)
  1935年16mm映画用フィルムを発売。翌36年にスチル用135発売。
 アグファカラー(内式カラーネガフィルム)
  1934~36年
 さくら天然色フヰルム(外式カラーリバーサルフィルム)
  1941年発売

2009年5月10日日曜日

 昨日から調子に乗って、今日も花を撮影しに行こうと思ったわけです。
そろそろ良い時期のはずなので、久里浜花の国へ赤い電車でGO!
 京急久里浜駅に着きました。歩いても行けますが丁度バスが出るところです。
そう言えばフェリー港側から入ったことがありませんね。終点のフェリー港まで行ってみましょう。


 はっ!どうしてフェリーに乗っているのでしょう?

  片道40分弱とはいえ、船旅は気持ちのいいものです。一人楽しすぎますw
乗ってしまったからには次を考えましょう。そういえば鋸山に行ったことがありませんね。
フェリー港から徒歩10分ほどでロープウェー乗り場に到着です。



山頂の展望台から見るとこんな感じ



お手軽でも変化に富んだ日帰り一人旅でした
くりはま花の国
東京湾フェリー
鋸山ロープウェー

2009年5月9日土曜日

観光名所の見ごろ

横浜の「港の見える丘公園 ローズガーデン」へ行ってきました。
長いといえば長いのですが、わかりやすいといえばわかりやすいネーミングです。



天気がよすぎます。コントラストがつきすぎて撮りにくくなりました



日陰に移動して1枚




逆光で1枚



汗だくになりました~~

2009年4月7日火曜日

放置しすぎでしょう。いくらなんでも。

ろくに写真も撮っていませんが、とりあえず撮りたてを




2009年1月14日水曜日

記念艦「三笠」

記念艦三笠へ行ってきました。




急に思いついたのでもしかしたら休艦かも知れないと思って調べましたら、
12月28~31日以外年中無休でした。流石艦隊勤務です。
月月火水木金金です。金曜カレーが2回になってお得です。


ちょうど若い護衛官乗り組みの方々が掃除にいらしていました。
教育や課業の一環でしょうか。


東郷平八郎連合艦隊司令長官が指揮を執った露出艦橋


見ず知らずの人ですが、ちょうど画面に入ってきたので比較しやすくなりました。
一番艦首より(画面前方)のプレートが東郷司令長官の、左のプレートから
秋山真之参謀中佐、加藤友三郎参謀長少将、伊地知彦次郎艦長大佐の立ち位置です。
東城鉦太郎「三笠艦橋の図」のイメージよりも相当狭いですね。
帰りはベース(米軍基地)前を通ってJR横須賀駅まで歩きましたが、
しかし、他国ではどうなんでしょうね?高層マンションに見下ろされる基地というのは。

2009年1月7日水曜日

発掘調査その3

2006年4月1日限定トップページから


輪護謨開発事業団休止のお詫び

 平素は輪護謨開発事業団をご利用くださいまして、まことにありがとうございます。

 昨今の報道にてご存知のように耐震強度の偽装が社会問題となっております。
輪護謨開発事業団では皆様に安心してご利用頂けるよう万全の注意を払ってまいりましたが、
まことに残念なことに、サイトの強度が不足していることが最新の調査で判明いたしました。
懸念される事項は次のとおりです。

  1.  震度5弱でフォントが崩れ、閲覧が困難な状態になる。
  2.  震度5強でリンクが寸断され、閲覧の継続が出来なくなる。
  3.  震度6でスタイルシートが破壊され、フォントの崩れとあいまって意味不明な表示になる。

 安全確保のためサイトを一時休止とさせていただき、
補強工事を実施する判断をいたしました。深くお詫びを申し上げます。
 再開のスケジュールについては未定でございますが、
このトップページにて随時お知らせしてまいりますので、
ブックマークやリンクは削除せずにいただけますと幸いです。

 なお、更新作業中に震度3の揺れがあった場合には、キーボードへ飲酒を強要してしまい、
キーボードが機能喪失してしまう可能性がございました。この問題につきましては、
予備のキーボードを常時確保することで解決いたしましたことを、あわせてお知らせいたします。

2006年4月1日
輪護謨開発事業団
 総裁布袋葵

今年は今からがんばって、もっと面白いネタにしたいと考えています。

あけましておめでとうございます

1月7日にもなっていまさらな挨拶ですが、今日は七草なので広義ではお正月でしょう。

近所の天満宮に初詣に行ってきました。
http://www.nagayatenmangu.or.jp/
お参りのために本堂下の階段で行列していたのですが、
前に並んでいた若い男が、
「天満宮と八幡宮は違うのか?」
・・・足を滑らすところでした。
菅原道真を知らない人も多いのですね。

乱暴な言い方をすれば、日本では
死んだらみんな仏様、そこらの全部が神様。
世界の宗教、特に一神教の人が聞いたら絶句するでしょうね。